人間は自分の選択が果たして正しかったのか、とにかく確認したい生き物!:応用心理学

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人生は選択の連続である…というより選択肢のほうが主役でその結果はオマケなのではないか!というくらい選択をすることは重要です、栁澤です。

朝起きて、パンを焼くか、ご飯を食べるか、パンならばジャムを塗るのかバターを塗るのか、それともピーナツバター?!白米ならば、猫まんまにしてとっとと食べて出発するか、タマゴでもかけるか、海苔でも巻いてみるか…、

乗る予定のバスがそこに迫ってきている、走れば間に合うかもしれないけど走ったはいいけど結果的に間に合わず乗れないかも…しかし走るか?諦めるか!?いっそ、今日は仮病で休むか!!
家の中にいても、一歩外に出ても、とにかく怒涛の選択肢が私たちを襲う。もし選択肢がアドベンチャーゲームのように視覚化されていたら、きっと、道行く人の頭には賑やかに選択肢が舞い踊りまくっていることでしょう。

ピーナツバターとか猫まんまは特にどうでもいい選択肢なんですけども、中には重大な決断を迫ってくる選択肢もあります。この後の人生…とまではいかなくても、数か月、数年影響しそうな選択肢とか。

人間は、「自分の選択は間違っていなかったのサ」と思いたくて思いたくて仕方のない生き物であることが分かっています。そりゃね、「この選択は間違ってて、もう一つの選択肢を選んでいたら、ずっとハッピーだった」と分かってしまったらツライですもんね。「間違ってなかったのさ!」と思えていることを「認知的協和」といいます。この認知的協和の反対の状態、認知的不協和のほうが有名かもしれません。

とある人が、一大決心をして、大きな買い物をしたとします。例えば家とか…。マンションとか…車とか。そんな大変な選択をしたわけですから、これが「あかんかったー」てなるのは避けたいところ。そこで、一生懸命にその家を建てた業者の評判などを得ようとします。車だったら、その車のパンフレットを、すでに買ってしまった後なのに熱心に見るとか。パンフを見て、この車にはこんないいところが、こんないたくさんあるものね~。大正解だよね。という気持ちでいたい、という習性が人間にはあるからなのです。

ここでもしこの車に欠陥があったことが発覚してリコール騒ぎにでもなると、人は「認知的不協和」に陥ります。いいところがこんなにたくさんあるから買ったはずなのに…、リコールだってぇ!?と、心の中では「この車はいい車!」という気持ちと「しかしリコールだってさ…」という、相反する気持ちが生まれ、これは不愉快なのです。

リコールはどう頑張っても知るしかないというか知った方が良いのですが、どうでもいいことの場合もあります。例えば…自分が好きなサッカーのチームが負けてしまった次の日のスポーツ新聞なんて興味がわかなかったりしますよね。だけど、勝った次の日の新聞は買っちゃう!という人もいるかもしれません。これはやはり、「この大好きなチームを応援している。なのに負けてしまった」という不協和が嫌で、「大好きなチームが勝った!やっぱりこのチーム最高!」という気分を味わっていたいからなのです。

つまりはどういうことかっていうと…人間は不都合、というか、知りたくないことからは目を無意識にそむける機能がついていて、そんなときは瞳に映る世の中が歪んでいるかも…ということなんです。

勝った時の新聞ばかり読んでいれば、負けた時の印象は薄くなるため、勝っても負けても公平に読んでいる人とは認識がズレるでしょう。でも、そうやって自分の選択は正しかったとなるべく思っていかないと、やってられない!というのも事実です。問題はひとつだけ。ズレてることを、他人に押し付けなければ何も問題ありませんとも!!

というわけで現実逃避も全然いいものですよ。現実逃避の話ばかりしているって感じの栁澤でした。だってまだ部屋が…。臭いんだもの…!

人間は自分の選択が果たして正しかったのか、とにかく確認したい生き物!:応用心理学

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