伊達政宗と直江兼続の仲が悪いのは創作ではなかった?

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こんにちは!栁澤蘭丸です。

戦国時代好きなら誰でも名前を聞いたことがあるであろう、二人の武将…。
「伊達政宗」と「直江兼続」。ゲームなどの創作物では、仲がいいんだか悪いんだか、話が合ってるんだか合っていないんだか、何だかんだで友情が芽生えていそうなそんな雰囲気を醸し出す二人なんですが(例:戦国無双)、史実ではどうだったのでしょう?

って、すでにタイトルでネタがバレているのですが実はものすごっく仲が悪かったんです!ガチで。
直江兼続は越後の人、伊達政宗は仙台の人というイメージが強いので、あまり接点がなさそうに思うかもしれませぬが、兼続は江戸時代、米沢(山形県)で過ごしているので、政宗とはご近所さんだったんですねー。

っていっても、有名な仲悪いエピソードは近所かどうかは全く関係ないけど!!

上杉景勝の名代として、兼続が大坂城に上ったときのこと。諸大名も集められていて、その中には伊達政宗の姿もありました。政宗は大勢の大名に「天正大判」という貴重な小判を見せびらかしていました。天正大判は、秀吉が造らせた大きな小判で、金の含有率が高く、価値は1枚で数百万円!!というシロモノ。政宗的には「珍しいお宝手に入れたぞー、みんな見て見て〜」という感じでしょうか。政宗って、現代にいたらインスタとかしてそうだなぁ。
色んな大名の手から手に渡り、兼続のもとにやってきた「天正大判」。兼続も「わー、すごい」って感じで珍しがるのかと思いきや、彼は扇子の上に小判をのせて眺めるのみでした。ピンとくる(?)政宗。「あー、直江殿はあれだな、大名じゃなくて大名の家臣だから自分たちと身分が対等じゃないと思って、遠慮して触らないんだな」と察して、「遠慮せず、直接手にとって触ればいいよ?」と声をかけてあげたのです。DQN四天王の割に優しいじゃないかー。
しかし兼続から返ってきたのはこっちがDQNじゃんっていう言葉でした。「ええ?はっはっは…。上杉家の采配を任されているこの手で、こんな誰が触ったか分からない不浄なものを触るわけには行かないんで!」空気詠み人知らず。潔癖症かよ!ていうか政宗どころか、今まで小判触ってた大名全員がむかっとくる案件ですね😱
真面目な兼続は小判なんかでキャッキャしてる派手派手マン(政宗)が気に食わなかったのかもしれません。

さらにこんなエピソードもあります。
江戸城ですれ違った兼続と政宗のお話です。兼続は政宗を無視してそのまま去ろうとしました。政宗は大名、兼続は大名の家臣(陪臣)なので、挨拶もしないのは無礼に当たります。これには政宗も怒って「陪臣の身で、大名様に挨拶もなしっていうのはちょっと失礼すぎるんじゃないの?😡」と咎めました。これに対して兼続は「あ、中納言(政宗)殿でしたかー、これまで戦場で逃げて行く後ろ姿ばかり見てたので、名前と顔が一致しませんでした。ごめんなさい。」と返したそうです。
ええ…無礼…w
あれかな。無双的に言うと東の関ヶ原と異名を取る長谷堂の戦いあたりのことでしょうか???上杉はずっと西、伊達はずっと東だったから他にも機会があったかもしれませんが。
今回、政宗は小判を見せびらかしてキャッキャしてたわけでもなくただ歩いてただけなので特に非がありません。単純に兼続に嫌われていたようですね💦兼続といえばクソがつくほどの真面目、政宗といえば「伊達男」の語源になるほどの派手好きなので、水と油のような感じだったのかもしれませんね。何もしてないのに政宗かわいちょ。。。😰

兼続、三成と仲良くなれそう。もしくはKill of sightか、ふたつにひとつっぽいですね😂

栁澤蘭丸でした〜。ではではでは!

伊達政宗と直江兼続の仲が悪いのは創作ではなかった?_挿絵1

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