「黒田官兵衛」のあまりに色々ありまくる人生

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今日は秀吉の軍師「黒田官兵衛」の話をしたい蘭丸です。
官兵衛といえば、大河ドラマでV6の岡田くんが官兵衛役を演じたので女性も観ていた人が多かったかもしれませんね。

とにかく官兵衛と言えば頭がいい。「信長の野望」で言えば、全登場武将の中で「知略」の数値はシリーズ通してまず10位以内に入る、90代後半です。これは高いですよ!!

しかし頭が良すぎたため、秀吉に「こいつにいつかやられんちゃうか…」と思われてしまいます。そして頭が良すぎるのでそのことも察し、とっとと隠居しました。隠居後の名前は「如水」で「水の如し(ごとし)」、私の心は水のように澄んでいますアピールです。ちなみにキリシタン大名の一人です。洗礼名は「ドンシメオン」…。変わってんなぁ…。ちなみに跡継ぎの「長政」の洗礼名は「ダミアン」…………。

官兵衛の息子ダミアンこと長政は、官兵衛とは全く違うタイプ、官兵衛が智将なら長政は猛将。あまり空気を読まないことでも知られています。

晩年の官兵衛は、長政がちょっと抜けている(?)ことが心配だったのです。そこで官兵衛がとった行動とは!

ボケ老害を演じる。

官兵衛は、歳をとるにつれて凶暴になり、家臣を罵ったり奇行をしたり、ボケ老人化したそうです。もちろん家臣は困ってしまうので、当主の長政に何とかしてほしいと頼ります。コレが長政への官兵衛の大事な贈り物だった…と言われています。息子の長政が「父上、もう少し威厳ある行動を…むにゃむにゃ」と進言すると、官兵衛はこっそりと長政に「私が家臣たちに敬われたまま死ねば、お前は私と比べられながら生きていかなければいけない。私がこうやってボケ老人を演じているのは、全てお前のためだ」と言ったそうです。

官兵衛といえば、関ケ原の戦いに東軍として参加すると見せかけて、実はどちらが勝とうが、疲弊している勝った軍を叩いて天下を獲ろうとしていた、とも言われています。ものすごく才能があるのに秀吉に疑われないために引退し、ずっとくすぶっていたのですから、「もう秀吉もいないんだったらやったろうやんけ」と思っても無理はないです。が、その関ケ原の戦いは小早川秀秋氏の裏切りによってたった1日で終結したため、官兵衛は到着が間に合わず「あー…家康さんに味方しようと思ったんですけど間に合いませんでしたw」といってお茶を濁しています。

これ、1日で終わらせた立役者は実は長政なんです!!!空気読めねぇ!!
長政は幼い頃、信長の元で暮らしていました。いわゆる人質ってやつですね。信長のところでは、おねねさま(秀吉の奥さん)を母親代わりに育ったそうです。そして、小早川秀秋もおねねさまの甥っこ。おねねさまは、淀殿が大坂城を仕切るようになってから何にも口出しせず静かに暮らしていました。豊臣にも全く味方していなかったんです。さらには家康に助けてもらったことなどもあるし、秀秋は長政に説得されて、相当迷ってはいましたが、最終的には東軍に寝返ります。

やったー!と、長政は喜んだかもしれない。父が天下を獲りにやってこようとしていることを知らずに。
官兵衛は「うわこの息子マジ空気読まない…」と心配になったかもしれません。敵を欺くにはまず味方からって言うし、空気読めない子だし、本当に息子には秘密にしてあったであろうとはいえ…家康に褒められて喜ぶ長政を見て官兵衛の心中はどんなんだったんでしょうか…(; ・`д・´)

そんなわけなので、有能極まる官兵衛は人生の締めくくりとしてボケ老人化を選んだわけなんですが…。カッコいいですね、能あるせいで爪を隠し通すしかなかった官兵衛。自分の名誉より、息子の将来をとった官兵衛。もっと活躍してほしかった。

ちなみに官兵衛は城造りが特技(?)で、三大築城名人の一人です。何でもできてすごいね。後の2人は清正と高虎。清正の作った熊本城の完全修復、生きているうちに終わって欲しいなと願う私です。(官兵衛関係なくなっちゃった)

ではではでは!ではでは~!

「黒田官兵衛」のあまりに色々ありまくる人生_挿絵1

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