七四にて罰当たらば当たるべし

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こんにちは!蘭丸です。

七四にて罰当たらば当たるべし」というのは徳川家康の言葉です。意味は、「74歳にもなってるし、罰が当たるなら当たれや!」という感じです。一体家康は何をしてしまったのでしょうか。

以下、創作エピソードも混ざりつつご紹介します。
実は家康は、大坂の夏の陣なう!3度も真田幸村に本陣に攻め寄せられる等、家康の肝もひやっひやな展開を何とかクリアし、大坂城を炎上させるところまでこぎつけた家康!これで、長かった戦国時代も終わりね…と思ったのも束の間、まだ何故か(???)、豊臣秀頼、秀頼の母の淀殿が火の手が上がってる大坂城の中で生きているという報告が入ってきます。秀頼の妻は、家康の孫の千姫だったので、千姫が秀頼の助命を頼んできたのです。でも家康は秀頼に切腹を命じます。

って書くとすごく簡潔なんですが、この時家康は、色々迷ったといいます…。秀吉にじかに「息子のことよろしくね」って言われていたからです。それに千姫と秀頼は仲良しラブラブ夫婦であり、かわいい孫娘からの必死のお願いに心が揺れます。

が、「もはや七四歳のワシ。罰なんて当たらば当たれ」と、秀頼の命を救わないことを決意。秀頼と淀殿は大阪城と運命を共にしました。とさ。

っていうのがこの言葉の成り立ちなのです。ただ、千姫は確かに大坂城落城の時は大坂城にいました。しかし、秀頼を助けて欲しいと言って出てきたわけではなく、家康に救い出されているだけです。秀頼、淀殿が最後どうなったかは誰も見たものがいません。だからこそ生存説がその後の大坂で出てきたりしていたわけで、家康が切腹させたというのは、考えづらい話だったりするのですが。

この言葉、何が大事なのかというと、約束を反故にしても、かわいい孫の婿を殺すことになっても、太平の世を実現するんだ!っていう決意が現れているところ。その後、約300年も続く太平の世を作った家康の決意ですから、日本人にとって、とても大事な決意でした!

ただな~、この言葉…応用きかないな~。74年くらいは生きている人じゃないと…。若いうちだとこう、説得力無いし…「24歳にもなったし、私に罰が当たるのなら当たってしまえ!」といっても、24年しか生きていないのに何言ってんだ感が出てしまう。やっぱ定年過ぎて退職したくらいの経験積んで、人生の集大成かも!って感じの時に言わないといけませんね。

その時までぜひとっておきたい。罰当たらば当たれ!(`・ω・´)クワっ

七四にて罰当たらば当たるべし_挿絵1

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