耳が痛いことを言ってくれるのが本当の友達!~石田三成と大谷吉継~

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こんにちは!栁澤蘭丸です。

石田三成…空気読まない、歯に衣着せない、友達いないマンとして有名な彼ですが、大谷吉継との友情は本物と言われていますよ!本当です。後世の創作っていう設定も多い、戦国時代のお話ですけど、これは本当。

三成と吉継が友達になったエピソードも有名ですよね。お茶会でのお話です。
大坂城でのお茶会に参加した三成と吉継。三成と吉継は、初対面ではなかったと思われます。2人はお互いに秀吉の小姓出身だったからです。2人とも秀吉の覚えが良く、可愛がられていたそうな。
お茶会の当時、三成は大坂城に勤めていて、吉継は越前敦賀の城主をしていました。しかし吉継にはひとつ問題が…。吉継は、当時、不治の恐ろしい病と恐れられていた「ハンセン病」を患っていて、顔を頭巾で覆っていました。創作物に出てくる大谷吉継はだいたい素顔を隠していますよね。ハンセン病にかかると、手足などの神経がマヒする、皮膚がただれてしまうなどの症状が出ます。顔がただれてしまった吉継は、頭巾をすっぽりかぶっていました。
お茶会では、濃茶を回し飲みするというスタイルが取られていました。吉継は、自分の番で回ってきた茶碗の中に膿を一滴落としてしまったんです…。周りのメンバーは吉継が不治の病にかかっていることを知っていたので、あからさまに避けたりはしなかったものの、膿が入ってしまったお茶を飲む勇気はありません。吉継は「しまった!」と、さぞ困ったでしょうが、三成がそのお茶をぐいっと飲み干したんです!!
ちなみに膿一滴入ったお茶を飲んでも、ハンセン病にはなりません。今では、ハンセン病はものすごく感染力の低い病気ということが分かっております。皮膚と皮膚が接触してもうつったりはせず、鼻の粘膜に多く原因となる菌が住んでいますが、患者さんがクシャミでもして、その飛沫を吸い込んでしまったところで、免疫力が落ちていない普通の人はハンセン病になったりはしません。昔ハンセン病が流行ったのは、衛生状態が悪く、免疫力が落ちちゃってる人が多かった等が原因だったと考えられています。
…ってことを、三成たちは知りませんから、当時の常識で言うと、信じられない行為だったようですね。命知らずなのか。礼儀のためなら命が要らないのか。とにかく、この三成の行動が、2人の友情を揺るぎないものにしたわけですね。

三成の数少ない友人、というか無二の親友と言われている大谷吉継。
三成は、彼に関ヶ原の合戦の挙兵前に相談しています。吉継は、相談された時は挙兵に反対しています。理由は簡単、勝ち目がないからでした。そして、三成が勝てない理由をズバッとはっきり言ったそうです。

勝てない理由その1…横柄だと思われて嫌われてる

様々な創作物でもしっかり受け継がれている「三成=横柄」というのは紛れもない事実だった!三成は真面目で正直な人ですが、なんですかねぇ、日本人が尊しとしている和の精神とはかけ離れた態度が常だったみたいですね…。欧米の政治家なら称賛されていたのでしょうか。
でもここは日本なので!三成の横柄な態度がキライ!!っていう人が多くて、味方になってくれる人が少ないだろうなぁ…と吉継は思ってたんです。だいたい、秀吉子飼いの武将で、本当は誰より味方のはずの加藤清正やら福島正則たちとすらうまくやれなかったのですから。しかもどーーー見ても三成が悪いのです。清正は、「お酒でも飲まない?」と誘ったり、歩み寄ろうとしてくれてるのに三成はとりつく島もなく断っちゃったりしてたので…「あいつ感じ悪すぎ…」ってなってもしょうがないですね。
吉継は、家康は身分の高い・低いに関わらずみんなに愛想を振りまいているのに、君はとにかく横柄だよ!それじゃ誰にも慕われないよ!と言っちゃってます。

勝てない理由その2…戦のセンスがない

三成には「ここでこいつを生きて返したらあかん!」とか「ここを無事に通らせると面倒なことになる」とか、そういうのを察知する能力があんまし無いよね、と大谷吉継は言っています。
実は家康を討ちたいなら、関ケ原の合戦までもつれ込まなくてもチャンスはあったのです。三成といえば佐和山。その佐和山の傍を家康がのこのこと通ったことがありました。その時、佐和山の三成の元には約1万の兵がいました。そして、家康を討たなきゃいけない…と既に思ってた時期だったんです。なのに三成はその時、何にもしませんでした…😞😞
大谷吉継は「やるならそん時やらないとダメじゃん」と厳しく指摘したそうな。三成しょんぼり。

で、どうしても挙兵したいなら、自分が総大将にならず、五大老の宇喜多さんか輝元さんに頼むんだよ!とアドバイスしたのでした。

本当の友達じゃなかったらきっと言ってくれなかったであろう…お前には人望もないし、戦のセンスもないぞ!!だなんて…。本当は挙兵してほしくなかったに違いありません(負けるから)。それでも関ケ原の戦いでは西軍についた大谷吉継。三成との友情は本物です…!!😿
三成も全員に対して、吉継に見せたような優しさ(?)を表現できてたらよかったのになぁ。でもまぁ負けたからこそ、2人の友情は際立ってるのかもしれませんね(´・ω・`)

栁澤蘭丸でした!ではではでは~。

耳が痛いことを言ってくれるのが本当の友達!~石田三成と大谷吉継~_挿絵1

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