人は無駄なことでなければ心から楽しむことが出来ない

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皆さんこんにちは。
無駄なことが嫌いな伊達あずさです。

無駄なことが大嫌いな私は何かにつけて意味を探してしまう所があります。
具体例をあげるとするとこんな感じでしょうか・・・

「う~ん・・・何だか疲れたしやる気もでないな~」
 ↓
「そうだリフレッシュのために何かゲームでもしよっと」
 ↓
「でも、折角遊ぶならプレイ日記でも書こうかな~」

と言った流れです。
物を捨てられない私が捨てられない古いものにも意味を持たせようと掘り出してきたファミコンで気晴らしをするはずが、いつの間にかその気晴らし行為すらブログのネタの1つとしてしまったわけです。
ある意味、究極のリサイクル!

と、ここまでは良かったのですが、問題はその先なのですよね・・・
そうやって物事に意味を持たせてしまうと、どうにもプレイ日記を書かなくてはいけないという使命感が先行してしまって、純粋にゲームを楽しむことが出来なくなっちゃうんですよね。
(あ!なので、できるだけその使命感を薄れさせるために、延々と続けられるオンラインゲームのプレイ日記は避けてます!)

人って本当にあまのじゃくないきもので、「~をするな」と禁止されると無性にやりたくなり、「~しなさい」と強要されると途端に興味が失われたりしませんか?
それは他者からの影響のみならず、自分の中でも同じことで、「~しなきゃ」って思えば思うほど何だかやるのが億劫になっちゃうんですよね。

人は楽しみという息抜き無しには生きていけません。
というか、本来、人生を楽しむために少々の辛いことを我慢するもののはずなのです。
(ですが、実際は辛いことを続けるためだけに生きているような気もしますが・・・)
そういう意味で、「無駄なこと」というのはそれだけで価値があるのですよね。

良く、「趣味は仕事にするな」なんていう格言がありますが、本当にそうですね。
特に趣味が少ない人がそれをしてしまうと、「人生から楽しみが奪われてしまう」なんてことにもなりかねませんからね・・・
まして、私のように趣味が全くない人間がそういうことをすると、大変なことに・・・って、あれ?もしかして私ってこうやって何にでも意味を持たせようとしちゃう性格が災いして趣味が無くなっちゃってるんじゃ・・・
無駄なことも無駄じゃない」って、結局、意味を持たせちゃってるし・・・

と、ここまで長く生きてきた今更ながらに自分の性格が如何に難儀なものであるということを再確認した私なのでした。
あぁ・・・もっと人生を楽しく送りたいよ~~><

人は無駄なことでなければ心から楽しむことが出来ない_挿絵1

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