従順で素直な顔に隠されているものとは:応用心理学

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こんにちは、栁澤です。
今回は応用心理学です。

「人の意見をよく聞き、参考にする人」「言われたことはきちんとこなす人」
こういう、素直且つ従順な人というのは、協調性に溢れていて良い人に見えますよね。社会生活の上では、よい性質に間違いないと思われます。

でも、こういう人は実は単に「自分で決めない」だけの人の場合が実はあります。そのココロは「責任を取りたくない」ってことなのです。「決める」ということはその選択をしたことによって起こることに責任を持つという事でもあります。「泣いて馬謖を斬る」の馬謖氏は、これの全く逆で、諸葛亮の言うことを無視しても自分で決めたことを実行したため、敗戦の責任を取らされて斬られました…(が、私的には劉備から馬謖を重用するなと言われていたのに馬謖を重用するという選択をした諸葛亮さんがお咎めなしなのもおかしい気がしますけど~。「泣いて諸葛亮辞任」もセットじゃないとだめじゃないか?馬謖氏かわいそす)

例えば…今までは近くに住んでいた彼氏が転勤になって、遠距離恋愛になってしまう女性がいたとして、その彼氏は「ついて来るも、ついて来ないも、好きにすればいい」と言ったとします。ついていくには、彼女は仕事を辞めなければいけない場合、この「自由に決めて」という言い方をされると、彼女は婚約でもしていない限り、仕事を辞めても彼氏には何の責任も取ってもらえないというわけです。転勤先で、彼氏が他の女性を好きになってしまっても、彼女は「責任を取るから一緒に来てほしい」と言われたわけではないので、「ただ別れた」というだけに過ぎなくなります。彼氏の言い分としては「ついて来いって言ってないのに勝手についてきただけ」となります。

というわけで「自分以外に決断させる」人は、相手を尊重しているようで、実は真逆である可能性が捨てきれないのです。

本当の意味で素直で従順で「良い人」なら、人の決断の責任も背負う覚悟がある人です。上の例で言うと、彼女がついて来たいと言ってくれた以上は自分も腹を決めよう、と思うような彼氏ならば真に良い人間なわけですね。

自分で決めない人は大なり小なり世の中にいます。みなさんも身に覚えがああるのではないでしょうか?自分がそうしてしまっていたり、誰かがそうだったりとか。小さなことなら「ご飯何食べる?何でもいいよ」と言っておきながら、決めたものに対して「これを食べるくらいならあっちがよかった」とか言ったり、「この服、どっちの色が良いと思う?」と人に聞いてその通りにしておきながら後から「やっぱりあっちの方が良かったのに、言うことを信じて損した」と言ったりするような。

人に「決めてもらった」場合は、決断する権利を譲っただけであって、それに伴う結果に対する責任は依然本人にあるので、そこで責任転嫁すると、ものすごく嫌ぁ~な顔をされるというわけなのです。

ついつい「何でもよいよ」とか「好きに決めていいよ」とか「意見が欲しい」と言ってしまうなら、何か具合の悪いことが起こったとしても、決めた人のせいにしないように心掛けるように気をつけないといけませんね…><

従順で素直な顔に隠されているものとは:応用心理学_挿絵1

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