勇気なんか出さなくても余裕で嫌われればいいと思う

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こんにちは!!!蘭丸っす。

ちょっと前からなんか流行ってる「アドラー心理学」。これはアドラーって人が提唱した心理学の体系というか、宗派というか…正直心理なんてモノも目に見えないし経験も考え方も人によって違うので「これさえマスターしたら成績は学年トップ、憧れていた人に告白されて彼女もゲットしました!」なんてことにはならないのですが…有名な言葉をひとつ残しましたね、「嫌われる勇気」っていう。
別にアドラー心理学の中に出てくる言葉ではありません。アドラー心理学を日本人が分かりやすいように解説した本の、題名がコレなのです。

アドラー心理学を日本人に向けて売ろうと思うと、「嫌われても構わないと考えての行動」ってのは「勇気ある行動」になっちゃうんだなぁ…。
多くの日本人は…「八方美人」という言葉もありますが、なるべく人に嫌われたくない、自分が苦手としている人にすら嫌われたくないと思って過ごしているようなのです。他人の意に沿わない行動をしたくない…自分がやりたいわけじゃないけど。意に沿ってないと嫌われるかもしれないから。ということみたいです。

何故そんなことになるかというと、アドラーが言う事には全て「他人」のせいとのこと。苦しみってのはほぼ他人由来である、というのがアドラー心理学らしいですよ(平たく言えばですけど…)。他人の評価が気になるとか、好かれているのか嫌われているのか気になる。あの人より優位に立てていないと嫌だ、とか。そんなことで苦しむのは他人が気になるからだ…みたいな?

だから他人を気にするな!と日本人に紹介されたわけなんですが…日本人は和の生物なので、他人と無関係で生きていくなんて、無茶かと思われます。救われた~と言ってる人もいますが、そういう人は多分、浮くんだろーなぁ。浮いたら生きづらい。あー、でももう嫌われる勇気を持ってるからどんどん浮いちゃって、世界を憎悪の目で見始めても、本人的にそれでいいってことですか?深い~。

ところで!!
苦しみと言えば(?)我々には古くから仏教。日本人は苦しみに対抗するためにとても昔から仏教に親しんできましたねー。仏教では、苦しみの原因は「欲望」、あとは「死」です。特に他人とは言っていません。欲望の中には他人から羨望の目で見られたいとかいう「承認欲求」みたいなものも含まれちゃうから、アドラーの言ってることも含まれはするけど、欲望は他人に認めてもらいたいことだけじゃないですし。ノーリードのピットブルに襲われて死にそうな時、「無様に叫びながら助けを求めるなんてかっこ悪い。ムービーでも取られて、拡散されたらえらいことや」などと他人の目を気にしていられるだろうか。いや、いられん(反語)。
いくら他人がチヤホヤ、かわいい~とか、この人かっこヨ!とか言ってくれてても、明日死ぬとしたら「他人からチヤホヤされなくていいから生きていたい」と思うのではないだろうか…。
人生に絶望して、来世に期待…とか、死にたい…とは言っていても、そう簡単には死ねないのも、生への執着がどうしようもなくあるからなんでしょうねぇ。そこに他人とかいうものが入り込む余地はなさげです。もし大好きな人に捨てられたから死にたいと思っても、相反して生きたいと思ってしまう機能がデフォルトでついている。生きているのがつらいとしても、死ぬのは嫌なものなんですねぇ。生物だから当たり前でしょうかねぇ。

でもまー、勇気を出さないと人に嫌われることもヤダっていうような、協調性のある人、他の人のことを考えられる優しい人はそれでいいと思うなー。そうじゃない人もちゃんとたくさんいるんでねー。私みたいな。ここだけの話だけどこれを真に受けて嫌われてもいいやって行動した結果ひでー目に遭ったという体験談はちらほら聞くしな…。

ちなみに私も来世に期待したいところなんですけど、浄土真宗は極楽行きなので、生まれ変わらないんですよねぇ…予定ではですけど。でも、もしも人間に生まれ変わったら、中学卒業した後の進路は競馬学校を目指したいなあと思います。なんで来世かというと、受験資格が20歳までなのでいっぺん死なないと無理なのです。うー。でも…知っている名馬に乗りたいから、本当は未来じゃなくて、同じ生年月日で、同じ人間としてやり直したいなぁ。今世なら体重も視力もバッチリなのだがー。

嫌われる勇気(?)も嫌う勇気(??)も人一倍ある蘭丸でした!
要は心が狭いってことじゃないのだろうか?勇気じゃないしなぁ。
ではではでは~。

勇気なんか出さなくても余裕で嫌われればいいと思う_挿絵1

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