私が三国志で好きな武将…その名は田豊!

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実を言うと私は三国志が昔から結構好きなのです
で、「三国志が好き」って言った場合、相手も三国志を知っていたりすると、かなりの確率で聞かれることがあります。

それは・・・

「三国志の登場人物で誰が好きなのです。

これはかなりの確率でされる質問ですが、昔から私はこの質問に対して一貫してこう答えてます。

田豊です!と・・・

すると大抵の人の顔は「???」といった感じになります。
私としては通ぶって無名の武将を上げているつもりはなく、本当に田豊さんが好きなのです
と言うかむしろ、田豊さんはかなりの有能武将なんですよ

というわけで、今日は私の好きな田豊さんの知名度を上げるべく、田豊さんの紹介をさせていただきたいと思います。

田豊さんの字は元皓です。
田豊さんは、若いうちから博学多才の人物と有名でした。
その才能で朝廷で昇進していくも、宦官達の好き勝手な振る舞いに嫌気が差し、官職を捨てて故郷に帰ってしまいました
その後、一時は韓馥さんに仕えていたのですが、田豊さんは正直すぎたため韓馥さんに疎まれ、あまり重用してもらえませんでした

そんなある日、田豊さんは名家でイケメンの袁紹さんにいい感じでスカウトされました。
田豊さんは以前より、王室の救済を志していたため、それを叶えてくれそうな袁紹さんに付いて行くことにしたのです。

袁紹さんに仕えた田豊さんは重用され、公孫瓚さんを攻める際も、袁紹さんに付いて行き一生懸命献策しました。
しかし、袁紹さんは矢が飛んできても逃げない等、目立ちたがりやなところがあったため、心配症な田豊さんの意見を聞き入れてくれないところがありました。
その後も、田豊さんは一生懸命、袁紹さんのために進言するのですが、有効ではあるものの堅実過ぎるその策は、派手好きの袁紹さんの好みに合わず聞き入れてもらえないことが多くなりました。

もんもんとした日々を過ごす中、袁紹さんは曹操さんとの大きな戦を迎えることになりました。
戦いにおける曹操さんの兵力は袁紹さんに比べると少なく、一見すると袁紹さん有利の戦いに見えました。
しかし、田豊さんは曹操さんの用兵術を評価していたため、「これはやばいよ」と思い、袁紹さんに手堅く持久策を進言しました。

ですが、いつものように派手に行きたい袁紹さんは「兵力で上回っているのに持久策とかおかしいじゃん」といつものように田豊さんの進言を退けたのです。
ですが、今回ばかりは本当にやばいと感じていた田豊さんは、珍しく袁紹さんに付きまとって考えなおすように迫りました。

この様子を見て怒ったのはイケメン袁紹さんの熱烈なファンである逢紀さんです。
なんとか田豊さんを袁紹さんから引き離すべく、「田豊はストーカーだから関わらないほうが良いよ!」と袁紹さんにあることないことを吹き込み、ストーカー容疑で訴えさせたのです。
これにより、田豊さんは逮捕され、牢屋に入れられてしまいました

真面目で袁紹さん想いの田豊さんは、牢屋の中でも彼を心配し「考えなおして欲しい!」と訴え続けていたのですが、そんな田豊さんの想いも虚しく袁紹さんは曹操さんに大敗を喫してしまいます。
これにより、袁紹さんの仲間達も皆「あぁ・・・田豊さんの言うことを聞とけばよかった・・・orz」と嘆きました。

私が三国志で好きな武将…その名は田豊!挿絵1
しかし、これに危機感を覚えた逢紀さんは、袁紹さんに「田豊は、自分の言うことを聞かなかったから袁紹は負けたんだー、やーいやーい!ざまーみろー」と牢屋で笑っていましたよ!と嘘を吹き込みました。
逢紀さんの策略は負けたショックで冷静さを失っていた袁紹さんには効果テキメンだったようで、怒れる袁紹さんの手によって田豊さんは死刑にされてしまいました

以上が田豊さんの生涯です。
なんだか、悲劇の人ですよね・・・
一生懸命、袁紹さんに尽くしたのですがちっとも報われませんでした。
確かにもう少し、上手く立ち回れればよかったのかもしれませんが、有能だけど不器用、そんな所が私には魅力なのです

田豊さんのことを話したらめっちゃくちゃ長くなっちゃいましたけど、少しは田豊さんのことをわかっていただけましたでしょうか
これを機に、是非とも「田豊さん」覚えてくださいね

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