~菊花の契り~蘭丸と「雨月物語」をつまみ読みする回

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どうもこんにちは!栁澤蘭丸です。
今回は「雨月物語」の中でも、いちばんメジャーなお話を読んでいきたいと思います。(前回
現代語訳(というかあらすじ)だけでも知っておくと、古文だけ読んでいても「何これ…分からん単語ばっかしや…」ってなっても、なんか閃いて「この話なんか知ってるかも!!」ってなることがある(経験者は語る)ので、知っておいて損はないかも…です。

菊花の契りは、雨月物語の第1巻の後半に収録されています。前半は崇徳天皇のお話です。。

菊花の契りの冒頭では、「柳は春には青々とした葉っぱを茂らせるが、秋にはとっとと散ってしまう。その次の春にもまた去年みたいに葉っぱを生やすけれど、散った葉っぱは戻ってくることはない。軽薄な人もまた、戻ってくることはない」という詩が添えられています。これの意味は…この菊花の契りの登場人物たちを見ていると分かるのかもしれません。

菊花の契りの舞台はまさに戦国時代。中国地方きっての謀将(ていうか中国地方、謀将多いよね…毛利元就やら宇喜多直家やら陶晴賢やら…)である、「謀聖」尼子経久がブイブイいってた時代です。

播磨の国(今の兵庫県)に、丈部 左門(はせべ さもん)という儒学者がいました。左門の母親は孟子の母か!というくらい息子の学問を応援していて(孟子の母は、少年孟子くんが学問をするのに良い環境を求めて3回も引っ越しした教育熱心)、慎ましい生活をして、左門が学問に専念できるように支えていました。

そんな左門、ある日、同郷の人の家にお邪魔した時、世間話に花が咲いてついつい長居をしていました。その時、「う~んう~ん」という苦し気な声が隣の部屋から聞こえてきたので、家人に聞いてみると、「それがねぇ、3、4日前に、身なりのきちんとしたいかにも位の高そうな武士の方が、連れとはぐれてしまい、遅れてしまったので、宿を貸してくれないか、といったので、お泊めしたのですがその日の夜から高熱を出されまして…私たちもお世話してきたのですが何とも困ったことで…」と言います。

左門はそれを聞いて、「その人は、旅先の知らない土地で、体も自由にならず、とても心細い思いをしているに違いない。私をその人に会わせてくれませんか」と家人に頼みました。最初は「でも流行り病だったら伝染してしまいますし…やめたほうがいいと思いますよ」と渋っていた家人ですが、左門が「人の天命というのは決まっています。病に倒れるのならそれが運命ですし、倒れないならばそれが運命ということです」としつこい(←)ので、仕方なく会わせてあげました。

左門が病に伏せっているという武士の部屋へ行ってみると、武士の身なりは立派で顔も気品がありましたが、顔色は悪く、布団の上で苦しんでいました。
武士は左門がやってきたことに気づくと、「お湯を一杯下さいませんか」と言います。それを聞いた左門は「あなたはもう心配することはありません。私がきっと治して差し上げます」と約束しました。左門は家の主人と相談し、自ら薬を選んだり調合して武士に飲ませ、お粥を食べさせたりと熱心に看病しました。武士は、「見ず知らずの旅人でしかない私にここまで親切にしてくれた…それだけで、このまま死んでしまっても良いほどです」ともはやこの時点で感謝いっぱいですが左門は「そんな弱気なことを言わないでください。流行り病はしばらく辛抱すれば治るものですから。毎日看病に来ますね」と励ましました。左門の熱心さのおかげか、武士の病はどんどんよくなっていきました。

武士は、自分をずっと置いてくれた家の主人に心を尽くして感謝を述べ、誰にも特に褒めてもらえるわけでも評判が上がるわけでもないのに自分を看病してくれた左門の行いに感動しました。動けるようになった武士は左門を訪ね、お礼を述べるとともに自分の正体を明かしました。

「わたしは出雲(島根)出身の赤穴 宗右衛門(あかな そうえもん)といいます。かくかくしかじか(←ここらへんがテストに出るわけないと思うので!!)というわけで、宿敵の尼子経久を滅ぼすべきという進言を主君の佐々木氏綱にしたのですが、佐々木は見た目は勇猛そうだが、内心臆病なところがあるので結局私の進言は退けられてしまいました。そして近江(滋賀県)に足止めされてしまったのですが、ここにいるべきではないという思いで脱出して、出雲に帰る途中、病にかかってしまい、あなたのお手を煩わせてしまったのです。このご恩は、この先の人生全てをかけて返していきたいと思います」と語る宗右衛門。
左門は「誰かが苦しんでいたら、助けるのが人間として当たり前のことです。だからそんなお礼を言ってもらうようなことじゃないんですよ。もうしばらくここに留まり、完全に体を治して下さい」と答えました。

宗右衛門が左門と話をできるまでに回復してからというもの、左門は宗右衛門との話をとても楽しく感じていました。宗右衛門は左門に劣らず学があり、左門ととても話が合ったのでした。あまりに気が合うので、義兄弟となった左門と宗右衛門。宗右衛門のほうが左門より5歳年上だったので、宗右衛門が兄として、左門から礼を受けることに。母も、自分以外に肉親がおらず心配していたのでふたりの関係を喜び、宗右衛門も、すでに両親と死に別れていたので左門の母を、本当の母のように慕い、過ごしました。

そのうちに桜が散る季節になり、宗右衛門は左門親子に「私が近江から逃れてきたのは、出雲の様子を見るためでした。一旦出雲へ下り、まだすぐ戻り、お二人に一生仕えようと思います。なので、しばしお暇をいただきたいと思います」と申し出ました。
左門が「義兄上、いつお戻りになりますか?」と聞くと、宗右衛門は「時が過ぎるのは早いものだが、秋を過ぎることはないと思う」と答えました。「っていってもいつ!?」と左門が食い下がるので「えー、…んじゃあ…、9月9日の重陽の佳節(ちょうようのかせつ=めでたい日)に戻るね」と答えました。「絶対ですよ!絶対ですよ!!その日には、お酒と御馳走を用意して待ってますからね!?日付を間違わないでくださいよ!」と食い下がる義弟。何重にも日付の確認をし、やっとこさ義兄・宗右衛門は出雲へと旅立ったのでした。

義兄が旅立ってからはあっという間に時がたち、約束の日が来ました。「義理堅い義兄上だから、絶対に日付を間違うわけない」と信じて疑わない左門は、新鮮な魚を手に入れて刺身にし、お酒も用意しました。弟はせっかちだった。
しかし、出雲方面からの旅人が何人も通り過ぎていっても、全然宗右衛門の姿は見えません。
そのうち暗くなってきて、母も「菊が咲く季節は今日だけじゃないのだから、今日はもう休んではどう?」と言いますが、「お母さんは先に休んでいてください。私は待ちます!」と日が暮れてしまった後もじっと待つ左門。
しかし、月が山の間に隠れてしまい、「さすがに今日はもう駄目か…」と思った時、遠くから黒い影がゆらゆらと近づいてきました。「あ、あれは義兄上!」左門大喜び。

「義兄上のことを朝から待っていました!本当に今日この日に帰ってきてくれるなんて、ものすごくうれしいです!ですが、母は夜遅くなってしまったので先に休んでしまいました。起こしてきますね」という左門に、宗右衛門は何も言わずにうつむいています。
「うーん…遠くから歩いて来られたためお疲れですね。とりあえず一杯召し上がって、今日はお休みになりますか」と、左門がお酒や料理を進めてもやっぱり義兄上は無言…。
「どうしました、義兄上?粗酒ではありますけれど心を込めて用意しました、どうか召し上がってくれませんか?」と左門が一生懸命話しかけると、宗右衛門は、長い溜息を吐いて「あなたの心のこもったもてなしを断る理由なんて、ないのだ」とやっと口を開きました。
宗右衛門がいうことには「私は、もう死んでいるけれど、一時的に人の姿を借りてここに現れました」とのこと。左門が「そんなこといっても、これは夢とは思えない。義兄上じゃないですか」と言うと、宗右衛門は、出雲で何があったのか語ります。
「ここを経って私は出雲の国へと帰ったが、すでに出雲の国に尼子経久に対抗する勢力はなかったため、従兄弟の赤穴 丹治(あかな たんじ)がいるという富田の城を訪ねた。丹治の勧めによって経久と会わされたが、家臣のことを大切にし、武勇も人より優れた人物だった。ただ、心の底から信頼できる家臣がいないのが悩みのようだった。私が、菊花(重陽)の佳節にあなたと会う約束をしていることを面白くない様子で、丹治の見張りの元、私は閉じ込められてしまった。あなたと会う約束を守らなかったら、あなたは私のことをどんな人間だとおもうだろうかと思うと、心が沈んだが、どうしても脱出することはできなかった。そんな時、ある昔の人が言っていた理(ことわり)を思い出したのだ。それは、人間は1日で千里も行くことはできないが、魂ならば千里も行くことが出来る、という言葉だった」
覚悟を決めた宗右衛門は、もはやこれしか方法がないと、自ら命を絶ち、ここへやってきたのだと言います…。どうしてもこの約束は守りたかったのだ、と。
それだけ言うと宗右衛門は涙を流し、その場から消え失せてしまいました。残された左門はなすすべなく号泣。
それに気づいた左門の母が起きてきますが、「宗右衛門殿がやって来てほしいと思うあまり夢でも見たのではないの?」と慰めますが、左門は「あれは義兄上に間違いありませんでした。義兄上は、約束を守るために命を絶たれたんです」と泣く左門に、母ももう疑うことはせず、二人で泣き明かしました。
さて義兄に死なれてしまった左門ですが…この後、左門は、信義のために自らの命を投げ出した宗右衛門に比べ、自分の修めて来た学問は所詮学問であり、国のためにも、親にためにもなっていなかったことを恥じ、義兄を弔うために自分も出雲に発つことを決めます。
「お前まで帰らぬ人にならないで」という母に、左門は「命は、水の上に浮かぶ泡のように儚い。でも私はきっと戻ります」と、出立。

左門がまず訪れたのは、赤穴丹治のもと。丹治は、「どうして宗右衛門のことをお知りになったんですか?」と不思議がりました。
左門は、義兄が魂となって自分の元にやってきたことを告げ、
「義兄が元の君主を想って尼子氏に仕えなかったのは信義によるものだ。あなたは、尼子氏に下り、武士としての信義がないとしか言えない。義兄が私の元に来てくれたのは、信義の極致といえる。昔の魏の王が、宰相に『あなたがとある優秀な人材を用いないのならば、決して国から出してはならない。その者は必ず魏に災いをもたらす』という助言を受けたという話があるが、尼子が義兄上を城から出そうとしないのなら、友として助けるべきだったのではないのですか。尼子の機嫌をとる者ばかりのこの国に、どうして義兄が留まろうと思うんだ。あなたは不義の名前を残すためにここに留まるといい!」と言うと、刀を抜き、丹治を切り捨ててしまいました!
すぐに騒ぎになりましたが、左門は行方をくらませます。
尼子経久は、この義兄弟の話を聞くと、哀れに思い、左門に追っ手をかけさせませんでした。
「経久の絶対殺すリスト」にもいれていないんだろうな?

ああ、軽薄な人と約束事をしてはいけないと言うが、まさにその通り。

以上が「菊花の契り」の大体のお話です。
平たく言うと、どこの誰とも知れない自分を手厚く看病してくれた友達と義兄弟の契りを結んで、再会の日を約束して旅立ったが、どうしても帰れない状態になってしまったので、自害して幽霊となって再会の日にどうにか間に合った。義兄弟の片割れは兄の供養のため、また義理を通すために、義兄が死んだ地へと赴き、恨みを晴らした…みたいな…そんなかんじでしょうか。

でも、左門、若いですねー…。青春丸出しです。主君の命で動いていただけの丹治を斬りつけてもしょうがないだろうに。丹治にだって守るものやらいろいろあったに違いなく、好きで元の君主を裏切ったわけではないでしょう。自分が学んできた学問は何の役にも立っていないと悟りながらも、結局、義兄への熱い思いを冷やしきれないまま丹治を斬ってしまった左門なのでありました…。丹治~( ̄ロ ̄;)

この「菊花の契り」は、「軽薄な人物と約束するべきじゃない」という言葉でしめくくられていますが、軽薄なのは一体だれだったのか?

「軽薄な人」は誰なのか、諸説あり実は答えは出ていないようです。
・特殊すぎる友情を結んで、9月9日に帰ってきてなどという約束をし、義兄が帰ってこなかったら丹治を斬り殺す、感情のままに動いている左門が軽薄という説
・約束を果たせそうにないからって自害しちゃう宗右衛門が軽薄。生きてさえいればまた会えたのに!
・尼子の言いなりになって、宗右衛門の信義を理解しなかった丹治が軽薄
など…。

しかし、この物語で「約束」をしているのは、宗右衛門と左門の2人だけ。最後の文章で「軽薄な人と約束してはいけない」といっているので、その約束とは、「9月9日に帰る」という約束のことなのかもしれません。今と命の価値が同じだったわけではないかもしれない、義理のほうが命より重い時代だったのかもしれませんが、どちらかが死ななければならなくなるような約束をするのは軽率だったのかもしれません。謎です。

雨月物語では一番テストに出やすい話なので大体のあらすじだけでも覚えておくといいかも、という「菊花の契り」でした!

ではではでは!ではでは!!

~菊花の契り~蘭丸と「雨月物語」をつまみ読みする回_挿絵1

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