健全な肉体に健全な精神が宿るの?

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こんにちは!栁澤です。
これまで、「一時間弱」やら「役不足」やら「確信犯」やら、本来の意味と違った意味が定着しつつある言葉を紹介してきた私です。でもこれらは、国語辞典も、本来と違う使い方がされることもあることを柔軟に受け止めて、意味に加筆してくれてたりします。

が、これは誤用したらまずいんじゃ?っていうかみんなも納得いってないんじゃ??という言葉もあります…それがタイトルのとおり。

健全な精神は健全な肉体に宿る」←

この言葉は、よく体を鍛えることを推奨するような感じで使われたりします。だって字面通りに受け取るとそうなっちゃいますもんね。
でも…そしたら病弱な人は、精神までダメってことになってしまいます。さらには、健康でバッキバキに鍛えた身体の持ち主は全員、健全な精神を持っていることになりますが、これは必ずしもそうじゃないよぉ、とみなさんも思うはず…。

そもそもこの言葉を発したのは誰なのかと言いますと、ユべナリスという古代ローマの詩人です。…詩人っ?なんか孔子みたいな偉い人やら、中国の故事とかじゃなくて詩人!なんで詩人!

このユベナリスさんの残した言葉は、他にもあって、「パンとサーカス」というのがあります。これは高校で世界史を取った人なら見たことあるかも?「パン(食べ物)とサーカス(娯楽)があったら、民衆は政治なんてどうでもよくなるダメダメや!」という、風刺です。この人は風刺詩人なのです!

というわけで「健全な肉体に以下略」も、格言とかじゃなくて何かを風刺している感じの言葉…ということになります。

ユベナリスさんの主張は本来はこんな感じ。「世の中の願い事は富とか名声とか美貌とかそんなんばっかりだけど、そんな願いは最終的には身を滅ぼすよ。健全な肉体&精神を願う程度にして、欲張りはだめだと思います」

というわけで本当は「健全な精神は健全な肉体に宿れかし」が日本語としては正しいそうな。「宿れかし」は、「宿ったらいいな」という意味ですが、現在ではもはや通じなそうなので、ユベナリスの言いたいことを改めて日本語にするとしたら「健全な肉体と健全な精神を願うべし」って感じになりますね。もーね、そもそも日本に入ってきた時点の主語が「精神」だからよくわからなくなったんですよねぇ。

英語では「A sound mind in a sound body」というそうで、これを日本語にすると確かに…。「健全な肉体の中に健全な精神」ってなっちゃうので、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉になるのも仕方ないかなあ。

この言葉は、世界規模で誤用されたんだそうです。特に、戦争があった時代は、国民には強靭な肉体を持ってほしかったわけなので、積極的に誤用していった模様。軍国主義になった国では、さあさあ体を鍛えるんだ、と言いたいがために。
さらには、体を鍛える必要があるスポーツの世界でも都合の良い言葉なので、今でも誤用は続いております。

がしかし、第二次世界大戦は終わり、未だ内乱や紛争はあれども、ワールド規模での戦争はなくなった今、この誤用は身体が弱い人を否定しているようだし、また、身体が強靭なのに精神が健全じゃない人がいる場合「嘘じゃん!」となってしまうので、徐々に正しい意味を浸透させようっていう方向のようですね。

んー。胃弱の上、精神もひねくれている私の場合は「確かに。」という感じですが。胃腸が丈夫になったからって、性格が治るわけでもないよね!という感じでもあります。

というわけなので、みなさんも、健全な肉体じゃなくたって健全な精神が宿ることはあるし、元々そういうこと言ってる話じゃないのでご安心(?)下さい。体が丈夫で、精神も丈夫なら、とりあえずはよい!ということですね!!

栁澤蘭丸でした~。

健全な肉体に健全な精神が宿るの?_挿絵1
「宿れかし」ってちっともなじみがないですよね…という頭悪そうな挿絵。

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