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皆さんこんにちは。
毎度何の脈絡もなく変なことが気になりだす伊達あずさです。
その日、私は何気なく読んでいた本の中に登場した「お客様(顧客)第一」と言う言葉が妙に気になったのです。
お客様第一と言う言葉が登場する部分の趣旨としては、お客様を第一に考えて仕え、その努力を利益に結び付けるのが経営の王道であるというものでした。
確かにその通りですね。本来、利益追求と言う行為は如何に相手を満足させて対価を頂くかということを突き詰める行為であり、利益追求と顧客満足(社会奉仕)というのはイコールの関係にあるものです。
顧客の満足を蔑ろにして不正な対価を集め、自己の利益のみを求め続けた場合、何かの拍子でその企みが露見してしまった時に一気に経営が傾いてしまうでしょう。
うん。確かにその通り。その通りなのですが・・・「お客様を第一に考える」という言葉はその本来の意味を誤認識させてしまいそうな危うい表現だなと感じたのです。
例えば、皆さんは「お客様第一」と言われた場合、どういったことを強いられていると感じるでしょうか。
多くの人は、「お客様のために自分を犠牲にしなさい」と言われていると捉えていませんか?
つまり、お客様一番、自分が二番・・・と。
そう理解しているが故に、逆に自分が客の立場になった場合は「私は金払ってるんだよ?客なんだよ!?」と、実際に店員さんに強気な言葉を浴びかけないまでも、心のどこかで自分を店員さんより優位に考えてしまっていたりするのではないでしょうか。
店で何らかのサービスを受ける場合、客は値段と商品とを見比べて購入を検討します。
検討の結果、値段に見合ったものだと判断すれば、購入に至るわけです。
少なくても、購入しようと思ったのであれば、基本的な商品部分には満足しているはずです。
ですが、お客様第一という言葉を誤って理解していると、客の方が得をするのが当然と勘違いし、契約外の過剰なサービスが当たり前だと錯覚してしまうわけです。
でも、本来、客と店の関係は同等でなければおかしいのです。
だって、客が価格以上の過剰なサービスを強いるということは、企業が顧客の満足を度外視し、自己の利益のみを追求することと何ら変わりがないのですから。(そんな企業は社会的にも当然非難されますよね?)
そもそも、お客様を第一に考えるために社員逹を犠牲にするという方針は、お客様を第一に考えられなくなる一番の原因になってしまうことだってあるんです。
だって、客を満足させるためのサービスを実際に行うのはその企業の社員逹です。
その社員逹が客のために常に犠牲になっていた場合、社員にとって客は嫌な存在そのものと化すでしょう。
そんな嫌な相手(客)を誰が率先して満足させようと考えますか?
直接客の満足に関係している社員達がそのような意識では、いくら社内ルールなどを駆使して強制しても、その効果は殆ど期待できないのです。
ではなぜ先の偉人は「お客様第一」なんていう表現を使ったのでしょう。
本来は「誰しも自分が一番だろうけど、自分と同じくらいお客様のことも考えなさい」という意味だったのではないかなと私は思うのです。
人を伝っていく過程で、当たり前の部分が省略されてしまい、経営者にとって都合の良い部分だけ残された結果なのかと・・・
偉人達の知恵を拝借する場合は、ちゃんとその真意を理解して使わなければ本来の効果がでないだけではなく、下手をすれば害になることすらあるわけです。
他人の知恵を実践する場合には気を付けなければなりませんね。
それでなくても、偉人の考えというものは、凡人には理解し難いのですから・・・
Studio POPPOのプログラム兼システム担当です。
ウォーキング・デッド大好き!ダリルかっこいいよっ!主食はキノコです。