挨拶をしないことが防犯に役立つの?「マンション内の挨拶禁止」について

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皆さんこんにちは。
マンションの住人どころか、お店の人にすら挨拶をしちゃう伊達あずさです。

今から丁度1カ月ほど前、神戸新聞に投稿された「マンション内の挨拶禁止」という奇妙なルールに戸惑う人の記事がTwitterなどで多くの反響を呼んでいるらしいですね。
何でも、「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください」とマンションの住人である小学生の親から住民総会で提案があり、それがそのままマンション内のルールとして決定したという話のようです。

時代が変われば世の中の常識やルールも変わるものではありますが、これってどうなのでしょうね。
確かに小さい子供を持つ親御さんからすれば、自分の子供を守りたい一心でこのような提案をしているのでしょうけど、本当に挨拶をかわさないことが防犯の面で役に立つのでしょうか。

例えば、挨拶が頻繁に行われているマンションがあったとします。そこに不審者が入り込んで子供に何かしようと思った場合はどうすればよいでしょうか。
恐らく不審者は自分が不審な人物ではないと思わせるために、子供に挨拶をしつつ取り入ろうとするでしょうね。
では逆に、挨拶がまったく行われていないマンションの場合はどうなるでしょうか。他の住人同士が一切挨拶もかわさないわけですから、不審者としては住人であるかのように装って侵入し、子供の隙を伺って不意にさらって行こうとするでしょうね。

まあ要するに・・・挨拶がされていようが、挨拶がされていまいが、その環境に応じて不審者の手口が変わるだけのことで、挨拶の有無が防犯に繋がるとは考えにくいということです。
確かに挨拶という行為そのものの防犯効果というものは皆無に等しいわけですが、挨拶という行為には別の効果があるのです。

子供が不審者と遭遇してしまった場合、助かるためには「自力で不審者から逃げる」か「周りの誰かに助けてもらう」のどちらかが必要となるでしょう。しかしながら、「住民同士が挨拶をしない」という行為は、この両方の可能性を低くしてしまうと思うのです。

例えば、子供が自力で不審者から逃げる場合、最も重要なのは一番最初の接触時に逃げることです。
そういった意味で、「挨拶されたらすぐ逃げる」というのは一見すると良さそうに見えますが、不審者が必ずしも挨拶をしてくるとは限らないのです。まして、住民同士が通常から挨拶をしないのであれば、挨拶をせずとも容易に近づきやすくなるため尚更です。
では、「知らない人が近づいてきたらすぐ逃げろ」と教えればいいかと言うと、そんなことをしたらもう電車にも乗れなくなりますね。道を歩いていても、常に逃げ回らなければならなくなります。
結局の所、危険そうな人物とそうではない人物をある程度は自分で判断できない限り、何と教えようが無意味なのです。そして、そういった判断力を身に着けるためには、どうしても多くの人と関わりを持つ必要があるのです。
例えば、常日頃からマンションの他の住人と挨拶をかわしている場合、不審者が同様に挨拶をしながら近寄ってきたとしても、その違和感に気づきやすくなるはずです。さらに、常に挨拶をしていれば自然と他の住人の顔も覚えていくはず。そういうちょっとした違和感が不審者との最初の接触を回避するのに役立つのです。

次に、周りの誰かに助けてもらうことを期待することですが、これも挨拶をしておいた方が確実にその可能性が高まります。
挨拶という何気ない行為を繰り返すだけで、単純接触効果により、好感度や印象が高まります。この何気ない好感度や印象というのが、いざと言うときにものをいうのです。
例えば、子供が見知らぬ大人と接触しているのを見かけた場合、危険な状況か判断がつきにくい状況であったとしても、普段から挨拶をかわしている子であれば、「どうかしたの?」と声をかけて上げ易くなるはず。その一声によって危険を回避できることも少なくはないのです。
逆に普段から挨拶などもかわさず、好感度や印象が薄い場合、明らかに危険そうな不審者に連れ去られそうになっていても助けてもらえないかもしれません。
と言った感じで、防犯という面だけを見ても、挨拶をしないことによるデメリットが大きすぎるような気がしてなりません。

良く挨拶をしないというのが時代の流れなのかと言われたりもしますが、どっちかというと、近隣の人と密接に関わらなくなった今の時代だからこそ、挨拶という行為の価値が昔以上に高まっていると思うんですよね。
だって挨拶って見ず知らずの人に突然したとしても、違和感がない上、決まった定型文を発したり、返したりするだけで、少なからず人から好意が貰えるんですよ?これほど効率的で合理的な行為って他にありませんよね?
礼儀や風習などといった感情論を抜きにしても、挨拶というのは自分にとって間違いなく得のある行為だと思いますよ?

どうしても子供を知らない人から逃げさせたいのであれば「知らない人に挨拶をされたら、挨拶を返しながら逃げなさい」と教えた方がお得だと思います。
知らない人から逃げるという結果自体は変わってないわけですから、きっとその親も満足でしょうし、逃げられた方としても、「あの子ちょっとシャイなのかな?でも、それでも挨拶はちゃんと返してくるんだから偉いな~」って・・・何かむしろ可愛く見えますよね!

しかしながら、全ての危険を親の手で取り払われ続けた子供は、何時自分の身を守る術を身につけるのでしょうね。
今の日本において、大人と子供の差は年齢でしかありません。よって、些細な危険すら体験したことがない温室育ちの子供であっても、時が来れば突如大人という責任を負わされ、社会に放り出されてしまうのです。
大人の目が届き、かつ、失敗が許容されている子供の間に、ある程度の危険(知らない人と挨拶をかわす程度の危険)は学んでおくことも、大人になってからより危険な目に合わないために、必要な教育だと私は思います。

挨拶をしないことが防犯に役立つの?「マンション内の挨拶禁止」について_挿絵1

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