「お騒がせ芸能人」という表現に物凄く違和感がある

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皆さんこんにちは。
些細なことが気になって仕方ない伊達あずさです。

テレビを見ていると良く登場する「お騒がせ芸能人」という表現に以前から強い違和感があったんですよね。
きっとこれって、「世間を騒がせる」という意味からきてるんでしょうけど・・・テレビに良く登場するお騒がせ芸能人って、本当に世間を騒がせているんでしょうか?

例えば、企業や団体などが不正を行って多くの消費者に不安や損害を与えた場合は、確かに世間を騒がせてますよね。
世間だって自分の身を守るために騒ぎたくもないのに騒がざるを得なくなってるわけですから、これは確かに!

個人であっても、例えば殺人犯なんかが捕まらず逃亡を続けていたりすると、それも世間を騒がせてますね。うん。
これらは確かに「お騒がせ」なのかもしれません。

が!

お騒がせ芸能人って言われてる人達って本当に世間を騒がせているんでしょうか。
例えば不倫とか?家庭内の斬新過ぎる教育方針とか?(法に触れない範囲の)喧嘩とか?
確かに世間が有名人の私生活に興味を持って騒いでいるということでは世間を騒がせているのかもしれませんが、別に騒いでいる人は「騒ぎたくて騒いでいる」わけですよね・・・
騒がせているのは、「お騒がせ芸能人」と呼んでいる人達であって、その芸能人の人が騒がせているわけではないと思うんですよ。

そもそも、刑法に触れない範囲の行為を問題の当事者ではない多くの人々が非難するというのは、人権にも関わる危険な行為だと思うんです。
道徳なんて所詮不確かなものです。自分にとっての正義が、必ずしも他人にとっても正義とは限らないもの・・・故に法という物があるわけです。
確かに法は万能ではありません。細かいトラブルまで全て法で対応することは無理でしょう。
だから、当事者間では多少の道徳観念による論争が起こるのは致し方ないのかもしれません。ですが、当事者外の人間まで勝手に参入し、それぞれの正義を振りかざし始めると収拾がつきません。

そうなると「多くの人が賛同しているんだから、それが正義」という話も出てきそうですが、それもどうなんでしょうね・・・
その理論でいくと、過去に起こった全ての戦争や虐殺行為も多くの人が賛同した(積極的ではないかもしれませんが)からこそ起こったわけですし、それらも全て正義ってことになってしまいます。
結局、多くの人が賛同しているという”流れ”自体が、自分も賛同しなければ異端になってしまうという無意識の恐怖を生み出し、結果、本来の自分なら賛同しないであろう正義に賛同することになってしまうんです。

たかだか些細な問題の「お騒がせ芸能人」から考えが飛躍しすぎなのかもしれませんが、こういった日常の些細な行為の積み重ねによって、大きな問題に繋がっていくんだと思うんです。
一人一人が、普段から「世間という怪しい集合体の一員」に成り下がってしまわないように心掛けることも、社会を平和な方向に導く一歩になるのではないかと思う私なのでした。

「お騒がせ芸能人」という表現に物凄く違和感がある_挿絵1

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