織田信長、本能寺の変での第一声は「是非に及ばず」か?「上之助が別心か」か?!

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どうもこんにちは!栁澤です。

日本史最大のミステリーとも言われる「本能寺の変」。
いちごぱんつ。1582年。または天正十年。
「てんしょうじゅうねん ろくがつ」って聞いただけですぐ「本能寺の変」と思うほど聞き飽きた年号ですね!(私は単なる職業病ですが…)

本能寺の変で、敵に寺が囲まれていると知った信長は「誰の謀反?」と森蘭丸に聞き、「明智っぽいです」と言われて「是非に及ばず」(もしくは「やむを得ず」)と言ったと伝わっています。「是非に及ばず」というのはそのまんま現代語の「やむを得ない」と同じ意味で、「しょうがないね」みたいな感じです。

信長さんは、比叡山の焼き討ち事件やら、長島一向一揆皆殺し事件など、結構世間が「これはひどい」とドン引きするようなことをやってきていたし、家臣の忠言に耳を貸すことが無かった(優秀非凡な司令官で明晰な判断力を持っていたせい?byルイス・フロイス)ため、「いつか誰かが謀反起こすかも…」みたいな覚悟があり、このように敵に囲まれつつも結構冷静な言葉を残したと考えることが出来るのではないかと思いまする。
この「是非に及ばず」というのは、「信長公記(しんちょうこうき)」という信長の一代記に記されています。著者の太田牛一さんは本能寺の変の生き残りである侍女に聞き取りをしてこの部分を書いたと伝わっていますので、こっちが本命なのは間違いないのですが…

実はもうひとつ、謀反を知った信長の第一声としてとして伝わっている言葉があります。
それは、「上之助が別心か」というもの。
上之介っていうのは、「じょうのすけ」と読みます。直訳すると「じょうのすけが裏切ったの?」という意味ですが、このじょうのすけさんは人の名前ではなくて官職名で、自分の可愛い嫡男「織田信忠」のことです。上之介は正しく書くと、読み方同じだけど「城介」。その当時の信忠はもう城介ではなかったみたい(昇進してたはず)なのですが前の官職名で呼んでます。つまり、「息子裏切ったの?!」という言葉をまず発したということになるんですが、それに対して森さんが「いや明智っぽいです」と訂正した、とあります。
こちらは、大久保忠教という人が書いた「三河物語」という、まぁ名前からして想像がつきそうな感じですけど、徳川家用の読み物です。安土桃山時代あたりからの歴史を知る上での大切な一次史料ではあるのですが、当たり前だけど徳川びいきな内容となっています。
例えば…傍若無人の限りを尽くして信長を怒らせ、切腹させられた家康の長男「信康」に関しては、傍若無人ぶりはさておき、信長の嫡男「信忠」より優秀だったため信長に恐れられ、切腹させられた、という風に書いてあります。
実際の信康…は…うん~。祭りの盆踊りで、踊りが下手だったり不格好な領民を面白半分に射殺してみたり、大好きな鷹狩に行く途中に僧侶に会うと獲物が減るという迷信を信じていたため、運悪く出会ってしまった僧侶を殺してみたり、まぁまぁに暴君で、さらに気性は荒かったご様子です。
それに、著者の大久保さんは当時、本能寺付近にいませんし、太田さんのように聞き取りをして書いたとも伝わっていないので、大久保さん的にどうして信長の第一声がこうなったかはハッキリしたことは分かりません。

まぁ太田さんのほうもICレコーダーでインタビューした音声が残っているとかじゃないので、もしかしたら~、聞き取りした体で書いたのかもしれませんし、そんなことを言いだしたらもうどんな歴史の資料も信じられなくはなってしまうんですけどね!
太田さんは、信長の秘書(書記?)みたいな人でしたから、信長の最後の一声はかっこいいほうがいいだろうし、対する大久保さんは徳川家家臣なので、信長ってのは酷い奴だったから身内も信用できてなかったんだよ!みたいな印象の一声のほうが都合がよかっただろうし。

是非に及ばず」のほうは有名だけど、「上之介が別心か」のほうはあまり日の目を見ていないので書いてみましたが……信長は信忠を可愛がっていたし、信忠も父を尊敬していたと思われる逸話もあるので、上之介の可能性はちょっと低そうだし、世の中にも広まりそうにはありませぬね~。

それにしても徳川家……天下取ったからって隠ぺいやらねつ造が多いのがちょっと気になりますよ…(;^ω^)三成のことも幕府の力が弱まってくるまで悪の小者扱いで、研究も禁止していたし…(;^ω^)

栁澤でした!!!

織田信長、本能寺の変での第一声は「是非に及ばず」か?「上之助が別心か」か?!_挿絵1
生涯最低点数をマーク。数Ⅱで7点(´・ω・`)

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