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皆さんこんにちは。
そのときどきのテンションでプレイ日記の雰囲気ががらっとかわってしまう伊達あずさです。
でも、長めのプレイ日記の最後の方って大体イライラしちゃってますね。特にスーパーファミコンは・・・
赤龍王、前回まで
脱公僕して山賊王を目指したはいいものの、他の山賊の首を獲ったど~したら、根回し上手な蕭何によって公僕へと逆戻り!
秦の正規兵はダメでも、山賊相手なら100人乗っても大丈夫な樊噲の活躍もあって、沛の守備軍としての面目躍如。
その時知り合った張良がその首飾りいいねと言ったから、紀元前208年は赤帝記念日になったとかならないとか。
丁度その折、始皇帝が崩御して趙高が天下を獲ったど~したら、項梁が挙兵して各地に檄を飛ばしたもんだから、私達は碭城でパリピな一夜を送った後で彭城へと向かったのでした。
碭城を500人で落としたという噂がこの彭城にも無事届いていたようで、項梁と項羽は私達を快く迎えてくれました。
さてさて、私達が彭城に到着するなり項梁率いる反乱軍・・・というか楚軍は秦に対して総攻撃を仕掛ける計画を立てていました。
現在、秦軍の本体が陳勝・呉広の乱を静めるべく鉅鹿(キョロク)へと移動中らしいのですが、ここに全軍で当たるつもりらしいです。
定陶(テイトウ)に本陣を構えた楚軍は項梁と数千の兵のみを城に残し、それ以外の全兵力をもって秦軍の本体が向かっているという鉅鹿に進軍します。
楚軍は鉅鹿へと移動中の秦軍を濮陽でとらえ、ここで総攻撃に踏み切ったのですが、数で大きく優るはずの秦軍はこれを受けず、すぐさま濮陽城内へと逃げ込むと城門を硬く閉ざしてしまいました。
この秦軍の消極的とも言える動きによって、楚軍の初戦は思わぬ攻城戦となってしまいました。
当然、大軍を擁しているはずの秦軍が楚軍との真っ向勝負を避けたことで、楚兵達は威勢を増したのですが・・・
そこへ飛び込んで来た伝令によって空気は一変します。
伝令によると、楚軍の主力が定陶を出発した直後、王離率いる秦軍が定陶城へと攻め込んできて項梁を討ち取ってしまったのだそうです。
流石の項羽も項梁の死を知って、一時は意気消沈したのですが、すぐさま濮陽城への攻撃を決意します。
・・・と、夜が明けてからの総攻撃と楚軍の方針が決まったところで、会議を抜けました。
しかし、秦軍はどうやって濮陽城を落としたのでしょうか。仮設の兵糧庫相手に騎兵で急襲とかならまだしも、濮陽城はまともな城です。攻城戦をまともにやるとなると、かなりの数の兵士や攻城用の装備が必要となるわけですから、奇襲って難度が高そうな気はするのですけどね。
まして、兵数で劣る楚軍はどうしたって守備が疎かになってしまいます。従って、周囲の警戒は通常よりも厳にしていたと思うのですけども・・・案外、雑だったのでしょうか。
まあ、私達自身たったの500人で3万の兵が駐屯する城を3日程度で落としてますし、起こり得ることなのでしょうけど・・・
でもって、問題はこれからどうするかです。
総大将の項梁が討ち取られてしまったことで、兵士達はすっかり浮足立ってしまっています。拠点を失い補給もままならない状態で、兵力で劣る上に士気まで下がったまま攻城戦に挑むなど自殺行為も甚だしいわけですが・・・
知力100の張良もこのまま戦えばまず勝てないとふんだみたいです。そりゃそうですよ。知力100じゃない私ですらそう思いますもん。
そこで、張良は濮陽城の攻撃を取りやめるよう項羽を説得してはどうかと進言してきました。
項羽も知力90台は間違いないぐらい賢い人だけど、結構苛烈な人だからなぁ・・・素直に応じてくれるでしょうか。
そんな私の心配は全くの杞憂だったようで、項羽はそれはそれはあっさりと矛を収めてくれました。
こうして楚軍は居城である彭城まで退却したのでした。しかも、退却の途中、項梁の死を知った兵達の脱走が相次いだことで、城に辿りついた頃には兵数が半分以下まで減少してしまいました。
その数日後、楚軍の今後の方針を決めるための会議が開かれました。
3日に及ぶ会議の中、それまで一言も発言せずにいた楚の現王であり伝説の名王懐(カイ)の孫心(シン)が突然・・・
心「関中(カンチュウ)を最初に制した者を関中の王とするであろう」
と勝手な約束をしてしまいました。
会議の後、項羽率いる主力部隊は再び鉅鹿へと進軍し、函谷関を通って約束の地・関中、咸陽を目指しました。
そんな中、私はと言うと南回りで関中を目指す兵数1万程度の別動隊の隊長に任命されたわけです。
私が別動隊の隊長をまかされたことに対して、樊噲は不満を顕にしています。蕭何も張良もこの扱いに関しては樊噲と同じ思いのようです。
ただ、我慢強さに定評のある張良は「だったら別動隊が先に関中を獲ってしまえばいいじゃない!」と非常に前向きな発言をしてきます。
しかも、張良によれば、今咸陽に残っているのは女子供ばかりなのだそうです。
というわけで、主力部隊から3日ほど遅れて別動隊の私達も張良の進言通り、鉅野に向かって出発しました。
ほどなくして鉅野に到着。情報通の蕭何によると、この辺には彭越という盗賊の根城があるらしいです。
しばらくの間、無心で草の本数を数えていると、噂の彭越党が姿を現しました。しかし、盗賊が出現したというのに張良はとても落ち着いたものです。どうやら張良は彼ら目当てでこの鉅野を訪れたみたいです。
そして、張良の目的は関中へと向かう際の背後の守備を彭越党に依頼することにあるらしいです。
とりあえず張良の勧めで彭越と会ってみるも、ガキと手を結ぶのはゴメンだと一向に取り合って貰えません。
ガキですか・・・この世界の設定は良く分かりませんが、史実基準に考えれば、この頃の私って48、9歳ぐらいなはずなんですけどね。彭越が言っているのはガキ(精神)ってことなのかもしれません。
どうやら彭越が興味を示したのは、私が赤帝の子だと張良から聞かされていたからみたいです。なので、元祖王佐の才・張良すらもひれ伏した赤帝の印(首飾り)を見せてみると・・・
彭越が突然、私に向かって手槍を投げつけてきて・・・
その彭越が放った手槍は首飾りが放った光によって粉々に砕かれてしまいます。
何このマジックアイテム!?
彭越は勝手に満足して依頼を引き受けてくれました。こうしてろくに話も出来ぬまま、完全に蚊帳の外状態で話がとんとん拍子に進んでいきます。
っていうか、私、手槍を投げつけられたときに「なにしやがんでぃ!」って言っただけなんですよね・・・
多分、間接攻撃無効のマジックアイテムなんでしょうね。
天下をとるべく生まれてきた人物は流れ矢に当たったりしないと分かったところで今日はここまでです。
Studio POPPOのプログラム兼システム担当です。
ウォーキング・デッド大好き!ダリルかっこいいよっ!主食はキノコです。