那須与一の「扇の的」エピソード、顛末がヒドイ

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こんにちは!栁澤蘭丸です。

那須与一といえば、日本一の弓の名手として名高い武将ですよね。エピソードの方は有名ですが、いつの時代の、誰の配下の武将だったかご存知でしょうか?
答えは、空気読まないガチ合戦マン、源九郎義経さんです!

那須与一の有名なエピソードとは、1185年の「屋島の戦い」における「扇の的」ってやつですね。どのようなエピソードだったかというと…

屋島・庵治半島の沿岸で、源氏(大将:源義経)対、平氏(大将:平宗盛)によって激しい弓矢の応酬による戦いが行われていたのですが(屋島の戦い)、夕方になってきたので、両軍は休戦の様相を呈しておりました。「あー、暗くなってきたし…休もう。相手もそうしたいでしょうし。言わなくても分かるよな!」って感じですね。

そんな、だらっとしたムードの漂う(?)中、平氏側から一隻の小舟が源氏側に近づいてきました。美女が乗っており、彼女は、自分の扇を船の先端についていた竿の先に設置。

「この扇を射てみなさい!」

と、源氏を挑発しました。この美女、剛の者やん。
美女にそんなことされてしまっては、黙ってスルーするわけにいかない源氏の軍のみなさん。義経は、「えっ、これ外したら源氏が恥ずかしいやつ…。絶っ対に外せない。畠山さん、お願いします!!」と、怪力で名を馳せていた畠山重忠を指名しました。しかし畠山さんはこれを辞退。「いやー…那須十郎さんなら、射貫けるんじゃないでしょうか?」と、御鉢を那須十郎氏にパスします。しかし、那須十郎氏も「なんか身体の調子が良くないので、やめときます」と辞退してしまい…あまつさえ「僕の弟なら射貫けると思います」と弟を生贄に捧げてしまうのです。兄ェ…!そう、このとってつけたように指名された弟こそが、那須与一でした!!
ていうか、義経やれ!

3位指名を受けた与一でした。が、辞退しなかったのです(兄の手前だろうか)。辞退しなかった以上は結果を出さないとなりません。しかし、扇なんて弓の的としては極小サイズの上に、その扇が設置されているのは海に浮かぶ小舟の上。ユラユラ揺れていますし、他の人が辞退するのもしょうがないレベルの難度でした。
与一は「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神。
願はくば、あの扇の真ん中射させてたばせたまえ。
これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面を向かうべからず。
今一度本国へ迎えんと思し召さば、この矢外させたもうな
」という有名台詞を唱え(意味:あの扇の真ん中を射れますように!!外したら死んでやる!)、鏑矢を放ち、見事命中させます。

敵も味方も、大興奮。「うおおおおー!あいつすげーー!」どよめく両軍。
敵軍の兵士が、あまりの与一のスゴワザに感極まり、舞を踊り出しました。敵なのに。うん、クリスマス休戦を彷彿とさせる良い話……に欧米ならばなっていました。あ、クリスマス休戦とは、最前線で戦っていたイギリス軍とドイツ軍の兵士が、12月25日に共にクリスマスを祝ったという第一次世界大戦における一時的休戦のことです。両国ともにサッカー好きのお国柄なので、空き地でサッカーとかもしたらしい。サッカーボールなんて持ち込んでたのはどっちの軍だー。

しかし源氏の大将はガチサイコパスの源義経だから。
「あの男もついでに撃ってしまえ」と空気読まない命を下したため、舞踊っていた彼は与一に射られ、休戦ムードは吹き飛び、再び激しい戦いが始まってしまったのでありました。

義経「あいつも射てまえ」
↑義経がこんなこと言ってたってことまでは、あまり知られていませんが、扇の的のお話は義経が休戦ムードをぶち壊すところまでがセットなのです。義経…無粋な人…。頼朝が「あいつはやばいやつ」って思うのも無理はない。牛若丸のイメージから、すごく優雅な感じがするのに、普通にやばいやつだなと(?)私も思うのでした…。

改めて義経さんの怖さを確認したところで、栁澤蘭丸でした!ではではでは!!

那須与一の「扇の的」エピソード、顛末がヒドイ_挿絵1
九郎は戦に関しては常にガチなので…💧

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