「飢えて死ぬはひとり、飲んで死ぬは千人」なのか「酒は百薬の長」なのかどっち?

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こんにちは!蘭丸です。
誰誰が酒の飲み過ぎで死んだなどもはや普通過ぎる死因。それより酔っ払ったせいで失敗した話のほうが恐ろしく聞こえるような、母の日や父の日のプレゼントに「高いウイスキー」だの「高い焼酎!」だの言われる家系出身の私にとって酒はコーラと同じくらいしれっと冷蔵庫に入っているものです。むしろコーラが入ってない。うちは私以外はコーヒー派だった。

大体「家族が私以外B型」とか「私以外はコーヒーが好き」とか「私以外気性が穏やか」など、家族の中では例外になることが多い私はここでも例外で、酒をそこまで所望しません。「栁澤は飲んでも言動もテンションも変わらない」「というか飲んでないのに酔っ払ってるようなテンション」と言われます。「酔っ払ってんの?」と真顔で聞かれることもしばしば…怖い!そんなわけない!!

そんな、人をご機嫌にしがちな「酒」ですが…酒といえば「百薬の長」として名高いものです。全国の酒飲みは、この言葉を頼りに(?)、「ある程度だったら体にいいんだよお!」と、飲んでいるわけですが…。
こんなことわざもあります。「餓えて(かつえて)死ぬはひとり、呑んで死ぬは千人」。意味は…直訳すれば「餓死する人は少ないが、酒の飲み過ぎで死ぬ人は多い」となり、それが変じて「貧乏より贅沢のほうが人を殺す」という意味にもなっています。なんだか…生活習慣病の出現を予言したようなことわざっすな。

この「餓えて死ぬはひとり、呑んで死ぬは千人」という言葉は、出典不明、いつごろから言われているのかも不明です…が、まぁ昭和に生まれたとかではないよね。飢饉が起こるような時代、つまり江戸時代にはすでに言われていたのかな?という感じです。
一方の「酒は百薬の長」の出典ははっきりしており、これは出典『漢書』。漢書は、中国の後漢時代に編纂された書物…。後漢時代…!!後漢時代とは三国志が一番面白い時代です。董卓、呂布、袁紹などがブイブイ言ってた時代。

…古い!

2000年くらい前です。日本だと邪馬台国があったと言われているような時代ですね。その頃の「百薬の長」は、酒だったんです。
仕方ないと思います、だって、2000年前だもん。痛み止めにロキソニンもなく、胃もたれにムコスタもない時代ですよ。とはいえ…その時代はピンポイントで華佗がいる時代なのでどうなのだろう…という疑問がちょっとわくけどそれはまぁ置いときましょう。

(華佗はその当時から脳腫瘍が疑われる患者に外科手術を提案する天才医師だった。が、その患者ってのがよりによって曹操だったため投獄され、その所業にムカついた華佗が何も弟子に伝えず死んだため、医学の発展がめちゃくちゃ遅れたと言われている…)

華佗のような天才医師にかかることができなかった人は、痛いのをごまかすためにお酒を飲んだりしたことでしょうし、冷えを感じたらお酒を飲んだりことでしょう。その頃はそれが十分有難い効果だったわけです…。だからお酒は百薬の長の座に君臨できたのです。

がしかし、似たようなものが近年「薬」としての役割を否定され、ほぼ絶滅に追いやられつつあることにお気づきだろうか。それは…「煙草」。煙草も実は元々は「薬」としての役割がありました。煙草を吸うと、血流量が減ることが「害」のひとつとして挙げられていますがこれも血流量が多すぎて頭痛い人にとってはどうでしょうか。実際フランスでは、煙草を嗅いで頭痛を和らげるという治療がされていたこともあります。ですが現在煙草は「百害あって一利もないことが判明した」ということで、マルボロが500円越えするという非常事態に!!!!!!(?)ちなみに血管が収縮する作用があるので片頭痛の人はダメですよ。

酒も実は同じ道をたどっているんです…。お酒は適量ならば体に良いとされてきた根拠が覆り、「お酒は飲めば飲むほど寿命を縮める」という研究結果がでてしまいました。よって、適量などは無く、煙草と同じで「飲まないほうが良い」というのが、総合的なお酒の評価になってしまいます。

だけどなんだってそうだけど、よく「副作用、副作用」といいますが、この副作用は「悪い作用」のことじゃありません。例えば、アレルギーの薬に使われる「ジフェンヒドラミン塩酸塩」ですが、これは「抗ヒスタミン剤」という名目で飲むと主作用が「アレルギーで目やら鼻がかゆかゆになるのを防いでくれる」であり、副作用は「なんか眠くなる」ということになります。一方で、「ジフェンヒドラミン塩酸塩」を、「睡眠導入剤」として飲むと主作用が「なんか眠くなる」になり、副作用として「目やら鼻がかゆかゆにならない」という効果があるということになります。主作用とは、それを飲んで得たい作用のことで、副作用とは、ついでにくっついてきちゃう作用のこと。
だから、煙草を薬として扱う場合なら「主作用」は、「鎮静作用」などになり、「副作用」が「発がん率の上昇」などになるわけです。もし自主的にガンになりたい人がタバコを吸うなら主作用は「発がん率の上昇」になり、おまけ作用である副作用に「鎮静作用」がくっついてくる、ということになります。そんなやついないけど。
お酒の場合なら大体の人の主作用は「楽しい気分になりたい、美味しい、羽目を外してるぞーという感じを味わう」などで、副作用が「γ―GTPの値が上がって怒られる、肝硬変になる」などかな?過ぎたるは及ばざるがごとし、そのまんまですが…目的によっては「百害しかない」と言うことは、何に対してもできないという事かと思います。それが煙草であっても、喫煙であっても、殺人であってもね。合法的な殺人に死刑や戦争があるじゃん?目的によっては人を殺すことが「よいこと」になることもあるのですから…飲酒・喫煙なんて雑魚い雑魚い。

「長生きする」ことだけに焦点を当てれば確かに「百害あって一利なし」なものは多そうです。「長生き」を、「とにかく可能な限り、一秒でも長い間、心臓を動かす」ことと定義するなら…歩いている人間をはねる可能性がある上に、本人の運動の機会を奪う「自家用車」も悪でしかないことになりますよね。
屁理屈のよーに思えるかもしれませんが結局はそういうことで、「長生きなんかしたくないからお酒を飲んで楽しく生きたいんだ」という人に「お酒は百害あって一利も無いんだよ」といっても無駄なこと。「楽しくもないのに生きていたくないよ」と思われて生きる意欲を失われては何にもなりません。どの観点からの百害や一利であるかというのは大切なことではないかなと思います…。

でも他人に迷惑をかけるのは、全方面から見て害なので、他人に害を与えるものの規制はやむなしですかねー。煙草の受動喫煙なんてのが代表選手ですが。お酒の場合は「お酒のせいで覚えていない」などの記憶障害や、「お酒のせいで覚えてないことにしちゃえ」という偽記憶障害が問題ですし、受動喫煙とは違い「直ちに影響のある」行動を、他人に起こしてしまうことがあるのも問題です。(酔っ払って誰かを殴る、絡むなど)

こんなに害があることばかり教えられるのに何故にコンビニでタバコやお酒が買えるのでしょう。謎だらけですが…。
お酒好きの方は、百害あって一利なしと言われて肩身が狭くなったとしても、飲んで誰にも迷惑をかけず楽しいなら、それは利があると言い張ることができるんです…本当はね!
価値観の多様化を認める一方で、真逆のこともしてる、不思議な世の中が平成…。

何かにつけて「平成最後」っていうよねー。栁澤でした。ではでは~。

「飢えて死ぬはひとり、飲んで死ぬは千人」なのか「酒は百薬の長」なのかどっち?_挿絵1

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