手と足、どっちが汚れててどっちを洗う?

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こんにちは!栁澤です。

世の中の言葉の中には、普通に使ってはいるけど、よく考えると「なんでこのチョイスなんだろう?」と思うものもあります。別に散り散りに歩いてないのになんで「散歩」なんだろーとか、考えだしたらキリがないかも。

今回は「手を染める」と「足を洗う」という言葉について考えてみたいと思います!

まず、悪いことをやり始めた時、「〇〇に手を染める」と言いますよね。辞書的には、悪いこと以外でも「やり始めた」ことを表す言葉だそうです。元々は「初める(そめる)」と書いたそうですが、物事にどっぷりつかってしまうとなかなか抜け出すことが出来ないということから、洗ってもなかなか落ちない染料で「染めた」ようである、ということで「染める」が使われるようになったようです。現在では悪行以外のことにはあまり「手を染める」って言いませんね…。例えばピアノに手を染めるとか…?しっくりこないけど日本語的に間違いではないようです。(多分?)

一方で、悪いことを辞めた場合「俺はもう、足を洗ったんだ!」とか言います。
ん?染まってるのは「手」なのに、洗うのは「足」なの!?手は汚いままだ!と思ったことがある人もいるかもいしれません。

「足を洗う」は、元々、お寺の修行僧がはだしで修業をして、それを終えて建物に入る時、汚れている足を洗う様子から「何かを終えた」時に使われるようになった言葉です。お坊さんは足を洗う時に、俗世の煩悩を洗い流していると考えられていたそうです。
こちらも、別に「悪いことを辞める」という場合以外でも使っていいらしい。「私はもう、テニスからは足を洗った」…。どうにも悪いことをしたようにしか思えないけど辞書的に「悪事を辞める」という意味は無いそうなので、テニスでも、ギャンブルでも、何からでも足を洗っていいようです。

と、ここで、ふと考えてみると…「手」を染めたのに、辞める時に洗うのは「足」です。手は染料で染まったままです…。手が染まったままなのに、足だけあらってスッキリっていうことにはならない気がするんだけど…!?という気持ちになります。なんでわざわざ、洗うものを足にしたのか…(・_・;)

これは、元々セットの言葉じゃないから、このように、何だかおかしいみたいな感じになってしまっただけで、「手は汚いまま」ということではないようです…語源を見る通り、「手を染める」は、元々「書初め(かきぞめ)」などの「初める」由来なので、まるで「染料」で染まったみたいだから「染める」という字が使われるようになったのは偶然。
そして、「足を洗う」のほうも、元々お坊さんが修行から帰ってきた時に洗っていたのが「足」だったからというだけで、もし帰ってきて真っ先に洗うのが手だったら「手を洗う」とか、頭だったら「頭を洗う」という言葉になっても全然良かったのです。「足」になったのは偶然。
なので、「手を染めた」た後、「足を洗う」ことになったのは偶然で、特に意味は無く、「どうして手が染まってるのに洗うのは足なんだ」という疑問には答えなどないということになります。手と足という人体の中では仲間みたいな部分で、「始める、辞める」という意味の慣用句がそれぞれ出来上がったため、不思議な感じになっただけのようです…。

「最初にその世界に入るのが手で、最後に出るのが足だから」でもないし「一度やってしまったことは、例え辞めたとしても無にはならないから、手は染まったままなのだ」でもない…、特に深い意味は何もない、ただただ偶然の産物だったというのが正解みたいです。日本語に限らず、体に関係する慣用句が多いのでこういう偶然が起こりやすかったのでしょうねぇ。それにしても英語もだけど「慣用句」って難しいなぁ。勉強する人の頭を悩ませる罪な奴らです…。

栁澤でした!ではでは!

手と足、どっちが汚れててどっちを洗う?_挿絵1

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