「偽善」はとっても難しい…

投稿日:

栁澤です!こんにちは。
伊達さんに続いて厨二病を発症したいと思います。

みなさんは「偽善」って何か分かりますか!?書いて字のごとく読むと「偽りの善」…つまり、「善ですよ~」って顔をしているけど善ではないっていうのが直訳になってしまいます。

国語辞典によると「偽りの善」と書いてあります。こっちも直訳かよ!というツッコミを心の中でいれたくなりますが、こう書いてある辞典もあります→「善ではないことを善と偽ること」…これです!これこそが偽善!「積極的に(?)偽る」っていうことがポイントのよーな!

しかし…これを実行できる人は、普通の人にはそうそういないのです実は…。この正しいレベルの偽善を働くとなると「偽善者」を通り越して「悪人」になってしまうからなのです。だって「善ではないことを善と偽って」いるのですから、その時点で嘘つき野郎です。例えばですが、死にたくない人の命を奪うことを「この人は生きているより死んだほうが幸せだって言ってたから、死なせてあげなさい」と嘘を教え、命を奪わせたりすれば意味的に正しく「偽善」になりますが、これ、殺人ほう助でしょ。悪でしょ、悪。「善ではない」なんていう生易しいものではなくなっています。他にもどうマイルドに加工しても、「善ではないことを善と偽る」と、どうしても、詐欺やら、浮気やらのになってしまうのです。

そうじゃぁないんだよ…!と思いますよね…。ここで私の考える「偽善」について熱苦しく語りますと…「偽善」とは「自分がやりたいからやる善」だと思うのです。「自分がやりたい」=「欲望」に起因する善行ではないのかと。

しかし、世の中に、それ以外の動機で「善行」している人が果たしているのかどうか?という話です。崖から落ちそうな人を助ける場合「お前のことなんて助けたいわけではないけど、今日はここで昼寝をしたいので、落ちるの禁止(落ちたら警察などが来て昼寝どころではなくなる)」という動機なら、昼寝をしたいという別の欲望はありますが「助けたい」という欲望で落ちるのを防いだわけではないので、真の善行かもしれません……でも…なんていう言い草でしょう!

他にも「お金がもったいないからお母さんにプレゼントなんてあげたくはないけど、母の日っていう慣習だから何となく惰性であげとこう」みたいな動機でお母さんに母の日の贈り物をした場合は、「プレゼントをして喜ばれたい!」という欲望に起因していないので「善行」かもしれません…。しかし何度も言いますが、なんつー言い草でしょうか…?自分で書いたくせにヒドイなあ!

いや~、欲望から行動したほうがなんかマシに見えます…。そんで喜ばれたら結果オーライですし、迷惑がられたら「こっちが勝手にしてることだから気にしないで」と言っておけばいいのですし…。いや、被災地に対して足が早い食べ物を贈るとかそういう行為以外はね。これは正直、疫病が流行る原因になりかねませんし悪行に分類されそう。悪意無き悪行とは、もうこれは、生まれついての悪。純粋悪です。悪魔にでも転職したほうが良いと思います。

悟りを開いた人が平たく言うことには、「欲望っていうのが全ての苦しみの元だからそれを捨てれば楽だって分かった。これが悟りが開けたってことなのね。楽が一番よ。ちなみに苦行に意味はなかったわー」とのこと。しかし欲を捨てた人の行動原理ときたら、善行には程遠いような感じがします。人間としてどうなの?っていう人間になってしまっています。「助けたい」から助ける、「喜ばれたい」から「贈る」ほうがよほどいいような気がするのに。悟りを開くっていうのは大変なんだなあ…。うう…。欲望を失うと人間はとても乾燥したカッサカサの生物になってしまうというのに欲望を捨てないと苦しみから逃れられないとは…。覚者への道はものすごく遠い。

ああ…また余計でどうでもいいことを考えてしまった。蘭丸反省。ではでは!

「偽善」はとっても難しい…_挿絵1
母の日のプレゼント、父の日のプレゼント、誕生日のプレゼントが全部「酒」の蘭丸の家…母はサントリー「響」しか所望してこないのである意味とても楽である。(父はバーボンだったり焼酎だったりいろいろ…)蘭丸の家にお洒落小物的選択肢はないのだ。それでいいのか、蘭丸ん家。

蘭丸の閑話をもっと読む
Prev | Next

雑談記事一覧へ

Studio POPPOをフォローしませんか?