正論だけど、最適解じゃないことがある

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応用心理学でもなんでもない話だけどそれっぽくなっちゃった蘭丸です。

正論とは。間違っていないことです。それに対して最適解とは、目的に最も敵う方法のことですね。

正論が最適解ならスッキリするんですが、なかなかそういう場合ばかりではないのが人生のようです…。そんな場合は、正論を捨てなければいけないのですが、それには苦痛が伴います。だって自分が正しいことを言ってるのにそれを曲げることになるので。だけどその苦痛が屁でもないようになれば、とっても生きやすいみたいです。

どういうことなのかというと…。
例えば、席はコーヒーを買ってからとってください、というスタバがあったとします。自分は店の方針通りに、コーヒーを買ってから席を探し、前の人が新聞を捨てて行ったっぽい席を発見して、新聞をどかして座ってコーヒーを飲もうとしました。そしたら、新聞の持ち主が自分の後からコーヒーを買ってきて戻ってきて「買う前に席をとっていたんだ。その新聞は自分のだ。どけ」と要求してきたとします。

相手は、その場のルールを破っているのに、ルールを守ってコーヒーを買った自分の権利を侵害してきたわけですよね。「いや、席は商品を買ってから探すのが店のルールですよ」と、正論を言っても良いのですが…。ここでの最適解とは「ゆっくり快適な環境でコーヒーを飲むこと」だとしたら、戦いを放棄して、席を探したほうが目的にはかなうわけです。
リアルで考えたら、そんな変な奴に関わりたくないので目も合わさずに去るかもしれませんが…。

でも「自分が正しいのに」という気持ちを捨てることは結構ストレスです。ルール違反をするやつが得をして、ルールを守っている自分が損をするなんて、と理不尽な気持ちになります…。でもそれを受け入れられる心を手に入れると、すごく快適に生きていけるというわけなんですよね。

全員が世の中の秩序よりも自分が快適であるほうをとってしまうとそれはそれで破綻してしまうわけなので、戦う人も必要ではあるのですが、毎回自分じゃなくてもいいという事なんですね。うん。

正論であっても譲っちゃってもいい時は譲って、絶対に守らなければいけないという時だけ戦うようにするのが、心穏やかに過ごす秘訣なのかも…。

栁澤蘭丸でした!

正論だけど、最適解じゃないことがある_挿絵1
蘭丸のモチベーションのために、むちゃくちゃな競馬史を作らされる伊達さん。

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