「裏切り」以外全然知られていない小早川秀秋、関ケ原の後…

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こんにちは、栁澤です。
「小早川秀秋」は、関ケ原で寝返って西軍の敗北を決定づけたようなイメージ…しかない!って感じの武将ですよね。

寝返った理由すらよく知られていません。この小早川秀秋さんってどんな人だったのでしょうか。

実は、小早川秀秋は、豊臣秀吉の正室である「ねね」の甥っ子。秀吉にとても縁のある人なんです!後継者がいなかった秀吉は、小早川秀秋を養子にして後継者として扱っていました。が、みなさんご存知の通り、後々秀吉には「実子」である豊臣秀頼が生まれますので、後継者としての役割は取り上げられてしまいます。彼は、毛利元就の三男である小早川隆景の養子となります。だから苗字が羽柴ではなくて小早川なんですね。小早川家は名家ですが、さすがに豊臣家とは格が違います。仕方がないこととはいえ、秀秋は悲しんだことでしょう。

…だからといってそれだけで、東軍についちゃうの!?というと、そうではなく、秀秋の受難はまだ続いていました(´・ω・`)秀吉の「朝鮮出兵」で、秀秋は命に従って海を渡って従軍したわけなんですが、そこでの秀秋の仕事は主にお城の建築工事。なので、命に従ってちゃんと働いたのですが恩賞が出ませんでした…ちなみにこれは三成の査定です。三成から進言を受けた秀吉は、言われた通り秀秋の働きは評価しなかったわけで、これには秀秋も三成に思うところはあったと思います。この時、秀秋は若干15歳です。思春期反抗期真っただ中(?)なのです!不満を漏らした秀秋に、秀吉がおこ。危うく転封(どっか違う領地に飛ばされること)されそうになってしまいます、が、ここで空気の読める男、家康が間に入り、秀秋は事なきを得ることが出来たんです!あー。三成。やっちゃったよ三成。馬鹿正直すぎて空気が読めない三成…( ;∀;)確かに命を張って戦場で戦った者と土木工事をしてた秀秋じゃ比べるとアレかもだけど、本当のことだからってわざわざ言わなくてよかったんだよ三成ィィ~!

そして秀吉が没し、起こった「関ケ原の戦い」。秀秋は当初は三成の西軍についています。が、しかし。西軍を仕切っているのは、あの時叔父上に自分の評価が下がるようなことを言ってくれた三成。そして、対するは転封の危機から救ってくれた家康。叔父上はもういないわけだし。それに、その子供は自分から豊臣家の跡取りの座を奪ったわけだし。家康から頼まれたらNOって言いづらいですよね。

結果、秀秋の寝返りは戦況を動かすきっかけとなり、東軍大勝利に終わります。ちなみに秀秋寝返りで真っ先に攻撃されたのは、三成の無二といっていい親友「大谷吉継」…。秀吉をもって「百万の兵を預けてみたい」と言わしめた名将ですが、横っ腹から寝返った軍に叩かれたらひとたまりもありません。壊滅…。

関ヶ原の戦いの功労者として、秀秋は旧宇喜多秀家の領地55万石の大大名になります。これで「やった!三成のバーカ!あースッキリした!」と思えるような性格だったらこの話は終了なんですが、彼は根が真面目な性格だったんでしょう…不義理を働いてしまったことを気に病み、お酒に溺れて関ヶ原の戦いからたったの2年後に、21歳の若さで亡くなってしまいます(もともとお酒大好きだったみたいですが)。寝返った時に真っ先に攻撃した大谷吉継の亡霊に怯えながら亡くなっていったとも。大谷刑部は関羽並みに怖いってことか((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

まさに秀吉に振り回された人生だったと言えますね…。関ヶ原の戦いでの「裏切り」しかスポットが当たらない小早川秀秋氏ですが、こんな事情があったわけです。三成がもうちょっと人当たりが良ければ…とか、秀吉がもうちょっと配慮していれば…とか、すれ違いが悲しいですね。秀吉は晩年はもう老害だったと言われてますが、人タラシと言われたコミュ力は一体どこへ行ったんでしょう…。小早川秀秋が気の毒になりますなぁ。

ドラマ「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」で藤原竜也さんが演じる小早川秀秋を見ると、秀秋の苦悩が感じられてただの「裏切り者」ではないと思えるかも?普通にカッコいい秀秋が見れます。

栁澤でした!ではではでは!ではでは!
 
「裏切り」以外全然知られていない小早川秀秋、関ケ原の後…_挿絵1

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