大河ドラマ「真田丸」、初恋の人の名がお梅だった理由が判明する

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以前、大河ドラマ「真田丸」に関して、信繁(幸村)の初恋の人の名前が「お梅」であるのがオカシイなぁ、という記事を書いていた私です。その記事こちら。

その謎が、真田丸第38回で明らかになったのでこの記事を書くことにしましたンゴ。

とりあえず軽くおさらいすると…、
⓪前提として、真田信繁には「お梅」という有名な子供がいる(史実)。何故このお梅が有名かというと、片倉小十郎で有名な「片倉家」に嫁いでいるから。
ドラマ真田丸では、「信繁の初恋の人で側室のお梅」が出てくるが、史実の信繁の側室の名に「お梅」という名は伝わっておらず、これはドラマ制作にあたって意図的に側室の名前を「お梅」にしたと考えられる。これは一体なぜなのか?どっちのお梅か混乱するし、意味がないなら同名は避けたいところなので、必ず意味があるはずだよねという話

お梅きり信繁(幸村)は幼馴染で、三角関係の中、お梅と信繁が結ばれる
②お梅が戦に巻き込まれ死亡、その後、きりは結ばれないながらその後もほぼずっと信繁の傍にいる
③信繁は大阪城に出仕し、大谷吉継の娘(後の竹林院)を正室にする
④第二次上田合戦(←関が原と同時進行)後、昌幸&信繁親子、和歌山県の九度山に蟄居(一定の区域から出てはいけないの刑)させられる
⑤竹林院、信繁との子を身ごもる←イマココ

竹林院は、大谷吉継の親友、石田三成がたまたま大谷の屋敷に来た時、自分に「筆」をくれたからと、それを愛の告白と勘違いして正妻のところに押しかけ、「三成さまと別れてくださぁぁい!」と騒ぎを起こしたいわゆる「地雷女」であったと、今は亡き三成さんが信繁に語っていました。
でもこれまではそこまで素っ頓狂な行動もしておらず、普通の可愛らしい奥さんという感じを醸し出していたのです…。信繁自身も「うーん、一応気を付けるけど今んとこ普通かなー、慕ってくれてるみたいだし」って感じでしたが、九度山編が始まってから竹林院の様子が変わってきます。

よく知っているわけでもないのに、故人である信繁の初恋の人「お梅」を執拗に嫌い、「あなたの心にはまだお梅さんがいる。だから私はこのお腹の子が女の子だったらお梅って名前にする。そうすればあなたにとってのお梅は、この私のお腹の子になる」と言い放ったのです、これにはさすがの私も…「あの義で有名な大谷吉継の娘がこいつなの!?!?!」と憤慨せずにおれませんw(大谷吉継は越前の人なんで!!)

つまり、初恋の人の名前が「お梅」だったのは、この基地外な竹林院のための設定だったんです!!そして(一応諸説ありますが)お梅を産んだのは真田家家臣の娘である側室…つまり、きりである説が濃厚ですが、この大河ドラマではきりは徹底して信繁とは結ばれない運命ってことになるんでしょうかね…がっくり…。信繁一筋で健気なきりが、一切報われないのが悲しい。ていうかお梅を産まないのなら、きりの存在の意味が分からない(;´Д`)「1人は正統派美人の若い有名女優さんを入れとかないと…」枠とかなの!?

はい、というわけでね……、長い長い伏線(?)の終着点は「大谷吉継の娘が超ヤンデレでウザ怖めんどうくさい!」…ということのようです…。
きりはさっぱりした性格だし、信繁と結ばれなかったとしても相手の女性を恨んだりはしないし(現に今も竹林院を気遣ったり仲良くしている)、きり、梅、信繁の三人は幼馴染という設定だったので「お梅ちゃんのことを忘れたくないし、お梅ちゃんのように大事にしよう」みたいな女神みたいなことを言いだす可能性はあるなあ、と予想していたんですが(次点は、誰が産むのかは置いといて、信繁が「お梅って名前にさせて」と言い出すという夫としてどうなのっていう展開でしたが)…まっさか竹林院をヤバいやつにするための「お梅」だったとは…!!

いくらなんでもあんまりですよ(ノД`)・゜・。家庭とはあれでしょ?旦那さんが「早く家に帰りたーい!」って思うような、良い環境づくりが一番大事ですよね?それが浮気を防ぐ一番の手立てでしょ!?このままだと信繁は浮気をするね!

あとこの時代、大名が側室を持つのは当たり前のこと。怒られるようなことでも浮気でもありません。側室は愛人ではなく妻です。一夫一婦制はキリスト教由来なので、相当の愛妻家、恐妻家、キリシタン大名でもない限りは世継ぎを残すために側室を置いていました。また、未亡人とかは逆に有難がられていたそうです。子供を産んだ実績があるとか大事ですし。身分が高い人の未亡人だと、その威光を喜ばれたらしいし。そのくらい今とは結婚に関する価値観が違うのですが、この竹林院は「現代のウザくて面倒くさくて病んでる女」そのものではないですか。側室が多いと女たちは嫉妬くらいはしたようですが、それも存在は認めての上でのライバルみたいな感情ですので、この大河の竹林院とは全然違います。側室どころか、過去の婚姻関係ですら許せないとか。悋気嫉妬は女の常とは申しませど、この時代の人たちから見たら相当「きが くるっとる」という感じに見えたように思われます。

こんな嫁の一挙手一投足に、地雷踏まないかドキドキしながら蟄居していたら、子供がいようがもう九度山でほがらかな家庭なんて築けませんわ…そら大坂から召集かかったら、死に場所求めて喜んで行っちゃいますよ…。

それにしても大谷刑部ももう死んでいて、いくら正室でもここまで人間的ヤバさを全面に押し出すわけにはいかないでしょうに、竹林院の狂気はモノホンという事なんでしょうね。(戦国時代の婚姻関係は、イコール同盟であり、人質でもあったため。竹林院にはもうその価値がないのに…後先を考えていない。まるで現代のひとりの女性のよう。まぁ真田家も正室とか側室とか言ってられる状況でもないけど…w)

ちなみに、「竹林院」というのは死後の名前で、生前の名前は不明です。大河ドラマ真田丸の作中では春という名前で呼ばれています。
「早死にしたお梅(仮名:初恋の人:真田家家臣・堀田作兵衛の妹、本名不明)と、きり(仮名:真田家家臣・高梨内記の娘、本名不明)が側室として子供を産んでいる」ことと比べると、大谷吉継の娘・竹林院が真田信繁の正室であったこと自体は信頼性のある資料がなく、実ははっきりとしたことは言えないのでした。そのあやふや竹林院にここまでの強烈なキャラ付けをして視聴者をびっくりさせる三谷幸喜さん、さすがです!確かに面白いよ、面白いんだけど、信繁、家の内でも外でも苦労しすぎじゃないかな…( ;∀;)

ただ、お梅を産んだのは「真田家家臣・高梨内記の娘(作中だと、多分きり)」だと申し上げたい!そして大谷吉継の娘さんは本当はあんな狂気の女じゃなくて素敵な人だと信じたい!

それはそうと、憎い前妻(正しくは前妻ではないけど…)と同じ名前を付けるって、竹林院の心の病気が悪化しそうです。「お腹の子にお梅とつければ、あなたにとってのお梅は前妻じゃなくて私との子供のことになる」という竹林院の謎狂気思考回路ですが…竹林院的には「この子の名前はあの憎い前妻からとったんだわ…」といつまでも思うだろうし、信繁的には「この子が生まれる前、初恋のお梅を俺の頭から消し去りたいからお梅と名付けるとか言ってたなあ…怖いわー…」といつまでも思うだろうし…その選択でいいんですかマジで?(◎_◎;)
それに会ったこともない、現在何の邪魔にもなっていない故人がそこまで憎いって、どういう理論なんでしょうか…。その人と二股されてたとかでもないのによく分からないなぁ。まぁヤンデレを描きたかったのだろうから、常人に「分かる分かる」と言われる程度の奇行じゃダメなんでしょうけど…(;”∀”)

自分の好みの展開になってるかはともかく、三谷幸喜ってやっぱすごいなぁ、発想が普通じゃないなぁと思わざるを得ませんでした(◎_◎;)鬼才!

栁澤でした…。

大河ドラマ「真田丸」、初恋の人の名がお梅だった理由が判明する_挿絵1

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