ランダム 存在の確率を観た感想と評価:映画考察

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皆さんこんにちは!
何時もの様にTSUTAYAさんを物色中に「あなたの脳はついてこられるか」という挑戦的なキャッチコピーに惹かれてしまった伊達あずさです。
如何にも難解そうな雰囲気を醸し出している今回の映画は・・・
ランダム 存在の確率(Coherence)」です。

とりあえず、作品情報から!

ランダム 存在の確率
原題:Coherence
ジャンル:SFスリラー
製作国:アメリカ
公開年:2013年
監督:ジェームズ・ウォード・バーキット
概要:主人公エムは友人のリーとその夫マイクが開催するホームパーティに訪れた。その日、ホームパーティに集まっていた男女8人は今日地球に急接近しているミラー彗星の話で盛り上がっていた。ホームパーティも終盤に差し掛かった頃、突如停電が起こる。8人は停電の状況を確認するために外へ出ることに。彼らはこの時既に彗星によって引き起こされている奇妙な現象に巻き込まれていたのだった。

挑戦的なキャッチコピーとミステリアスなパッケージ。
複雑で難解そうな雰囲気がするこの映画なのですが、ジャンルが「SFスリラー」なのですよね。
いえ、SFの部分はいいんですよ?なんでスリラーなんでしょう・・・
「不安定さによる恐怖」がサスペンスで「明白な恐怖」がスリラーという位置付けらしいのですよね。

例えるならば・・・
正体も分からないストーカーから逃げる映画なら「サスペンス」
正体を知っている殺人犯から逃げる映画なら「スリラー」
みたいな感じでしょうか?

そう考えると、謎めいた雰囲気に反してジャンルがスリラーというこの映画はいったいどういうことに?
謎が深まるばかりですね!
そんな、「ランダム 存在の確率」に対するおすすめ度は・・・

おすすめ度(5段階):★★★

う~ん・・・謎めいてはいなかった!!
何と言いますか、ナイスアイデア!な作品だとは思います。
観ていて詰まらないよ~ともなりません。
が、「あなたの脳はついてこられるか」というような感じの映画ではないのですよね。
「正にスリラー」というジャンルの映画でした。

何て言うか・・・日本の映画配信会社が悪いんじゃないかと思うんですよ。
この映画の本来の持ち味と全然違ったアピールをしているというか・・・
そもそも、和名の「ランダム 存在の確率」もあまり的を射たタイトルではない気がするのです。
原題である「Coherence」という言葉があまり一般的ではないと考えて、変えようと思ったんでしょうけど・・・
ただ・・・「存在の確率」という副題は案外良い線いってるんですけどね!

そういったミスリードによって私の中の評価が無駄に下がってしまった気がします。
やっぱり、期待している雰囲気と実際が一致しないと中々満足感って得られないのですよね。
和食も洋食も美味しいですけど、和食が食べたいなーって思って和食のお店に入ったのに洋食しかなかったら満足感なんて得られませんよね?
そういう感じです!
・・・でも、そのような悪条件で「★★★」なんですから、中々の作品とも言えますけどね。

ここからはネタバレを含みますので、これから観る予定がある人は「ランダム 存在の確率」を見終えてからにしてくださいね!

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<以下ネタバレを含みます>

登場人物

主人公:エム
ホームパーティ主催者妻:リー
ホームパーティ主催者夫:マイク
エムの恋人:ケヴィン
ドラッグ&風水マニア:ベス
物理学者を弟に持つベスの夫:ヒュー
ケヴィンの元恋人:ローリー
ローリーの連れ:アミール

考察・感想(ネタバレ含む)

この映画はほぼリーとマイクの家の中とその近所周辺だけで展開します。
出演者も8人だけです。
俗にいう低予算映画と呼ばれる部類ですね。
しかし、こういう映画には結構趣向を凝らした作品が多いものです。

以前紹介した作品ですとタイムシャッフルと同じような感じでしょうか。
有名所で言うと・・・キューブ(Cube)みたいなイメージですね。

さてさて、では映画の中身を考察してみましょう。

この映画はミラー彗星の急接近によって地球の重力が乱れ、異なる可能性を持った「彼ら」が互いに干渉し始めるというお話です。
まあ、こういう不思議な空間が出来上がってしまった原因の科学的な根拠についてはさておき、「異なる可能性を持った8人が互いに干渉し始める」というのは結構科学的なのですよね。
というか、実際に普通に起こっているのです!(少なくても量子学の世界ではそういうものらしいです)

私達は物を観測する事ができますが、観測するまではそこに無限の可能性があるのです。
この映画中でも「シュレディンガーの猫」のお話が出てきます。
物凄く簡略化すると「見えない箱の中に1時間後に50%の確率で毒ガスが発生する装置と猫を入れて、1時間放置した場合、箱を開けてみるまでは死んだ猫と生きている猫が重複して存在する」というお話です。
しかし、これには実は続きがあるのです。
実は、箱を開けた時の猫の生死は「生きている猫の存在確率」と「死んでいる猫の存在確率」が互いに干渉しあって決定されているのです。
これは「二重スリット実験」と呼ばれるもので論じられている立派な現代科学なのですよ!

そう考えると・・・この映画の中で起こっていることというのは、実際私が知らない所で起こっている可能性があるってことなんですよね。

ランダム 存在の確率を観た感想と評価:映画考察_挿絵1

私が見ていない(観測していない)ときは仕事をしていたり、仕事をサボっていたりするいろんな可能性をもった蘭丸さんが同時に存在し、互いに戦っていて、私が見た(観測した)時点の勝者である蘭丸さんだけが私には見えているということですね。
なんだか、物凄く科学的な映画な気がしてきましたね!

さてさて、そういったことを踏まえた上で、この映画の中で起こっていることを改めて整理してみましょう。

最初の異変

ヒューとアミールが外へ出て行った後、突然裏口のドアを叩く音がします。
その後、怪我をしたヒューとアミールが帰ってきますが、2人の話が噛み合いません。
アミールが言うには家の裏手に回ったヒューが何かを見て物音を立てた後、箱を置いて走りだしたから、置いた箱を持って追いかけてきたらしいです。

さて、これはどういうことでしょう。
恐らく、今の世界のヒューが別の世界の家の裏口へ回り、ドアを叩いた。
しかし、中に居たのがエム達だったため、驚いて走って逃げた(その際、転んで怪我をした)
一方アミールは、別の世界のケヴィンが隠した箱をヒューが置いたと勘違いして持ってきたのでしょう。
この時アミールが持ってきた箱は後々、別の世界と自分達の世界の区別を図るために用意することになる目印です。
今の世界ではまだこの箱を作っていません。

この時見つけた箱
中に入っていたもの:卓球のラケット
文字色:赤
数字:リー(1)、ヒュー(1)、マイク(1)、ローリー(2)、ベス(4)、エム(4)、アミール(5)、ケヴィン(6)

第二の異変

隣にある家を確かめに行ったマイク、ケヴィン、ローリー、エムの4人が赤いケミカルライトを使った世界の4人と遭遇します。
その後、家に戻りますが、青いライトの話を聞いた途端にアミールとヒューの様子がおかしくなります。
どうやら2人が戻ったと思っていたのは別の世界だったようです。
さらに、ベスとリーがギャラクシーで購入した植物の話をし始めます。
エムが当初居た世界では、既にベスとリーがその話をしているのです。
つまり、外へ出た4人が戻った家もまた別の世界になってしまっているようです。
さらにマイクも自分を脅迫する手紙を外へ置きに出てしまったようで、世界を跨いでしまったようです。
ケヴィンに何処へ行っていたと問い詰められた際に、ケヴィンとマイクの時間感覚が異なっている点からそう予想できます。

第三の異変

また突然家が停電してしまいます。
その後、外では車の窓ガラスが割れる音が・・・
これは、別の世界のエムがその世界のエムを孤立させるために行った行動なのでしょう。
自分の車を確認している際に話しかけてきたケヴィンは違う世界のケヴィンだったのでしょう。
エムが家に戻った後、再度ケヴィンに指輪の話をしていますが、まるで今はじめて聞いたような対応をしています。
さて・・・この時、別の世界にいって治療を受けていたヒューとアミールが戻ってきます。
しかし、元の世界で箱を作成していなかったので、青のペンライトを持ったヒューとアミール達は箱を持って帰らなかったようです。

詰まるところ・・・
赤いペンライトの世界に行ったヒューとアミールは本だけを持って戻ってきた。
一方、青いペンライトの世界に行ったヒューとアミールは箱と本を持って戻った。
という感じなのでしょう。
ですが、ペンライトの色が一緒というだけでは、同じ世界に戻れている証拠にはなりません。
ペンライトの色は三種類(青、赤、緑)しかないので、3分の1で同じになりますからね。

その後、自分達の世界を識別するために目印となる箱を作成し始めるのですが・・・
どうやらこの世界は最初の世界とは異なるようです。
何故ならこの世界に持ち込まれた箱は、エム達が元いた世界のものとは異なっていたからです。
更に、ヒューとアミールも携帯が壊れていないことから最初の世界のヒューとアミールではなかったようです。

現状をまとめると

ローリー、エム、ケヴィン
ラケットの世界
ヒュー、アミール
ホチキスの世界
リー、ベス
鍋つかみの世界
マイク
ナプキンの世界

という感じでしょうか。

どうやら、さまざまな世界の8人が入り混じって干渉してしまったために、様々な可能性の世界が生み出されてしまったようです。

エムは結局、幾重にも重なった可能性の中を旅し、自分が理想とする世界を見つけ出します。
しかし、そこには既に自分が存在しています。
その世界のエムと自分が入れ替わるために、第三の異変をエムは利用したようです。

彗星が通り過ぎた後、同時に存在していた別の可能性は1つに収束するはずだったのですが・・・
ケヴィンにかかってきた電話の相手は、果たしてもう1人のエムだったのでしょうか。

・・・っとまあ、こんな感じで結構凝ったストーリーの映画でした。
でも、こうやって最後まで考えるとまるでドッペルゲンガーの話みたいですね。
もしかすると、ドッペルゲンガーって別の可能性からやって来た自分自身で、この時のエムのようにこの世界の住人として入れ替わるため、自分を殺しにやって来ているのかもしれませんね。
そう考えると、ドッペルゲンガーをみたという偉人が多いというのにも納得がいきます。
だって、その世界で成功しているってことですから!
っていう終わり方にすると、スリラーっていうよりホラーになっちゃいますね!
以上です!

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