キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲームを観た感想と評価:映画考察

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皆さんこんにちは。
最近Tsutayaさんに行くと、4本も観たい映画を見つけられずに苦労する伊達あずさです。
4本借りるとお得なのはいいんですが、最近4本も観たい映画を見つけられないのですよね・・・

そんな中、ご紹介する映画は・・・
キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲーム(MAFIYA: IGRA NA VYZHIVANIE)」です。

いつもの様に作品情報から。

キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲーム
原題:MAFIYA: IGRA NA VYZHIVANIE
ジャンル:サスペンス
製作国:ロシア
公開年:2016年
監督:サリク・アンドレアシアン
概要:2072年の近未来モスクワでは「マフィア」というゲームが熱狂的な人気を博していた。このゲームはリアルタイムで世界中に配信され、勝者には10億ルーブルもの大金が支払われる。しかし、このゲームの参加には大きなリスクが伴っていた。このゲームでの脱落は「現実の死」を意味する。敗者は心の底で最も恐れているものを見せつけられ、そこで生まれた恐怖から死に至る。今宵も11人の参加者達による文字通り命を懸けた推理バトルが繰り広げられる・・・

雰囲気だけ見ると、物凄く頭を使いそうな映画の予感がしますね。
この「マフィア」というゲームは、日本でも有名な「汝は人狼なりや?(Are You a Werewolf?)」の元になったゲームらしいです。
ちなみに、汝は人狼なりや?のルールに関してはこちらに詳しく解説されている方がいるのでそちらにお任せします。

そんな、「キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲーム」に対するおすすめ度は・・・

おすすめ度(5段階):★

う~ん・・・久しぶりの「★」評価が出ちゃいましたね。
何といいますか・・・とてもCGやらにお金がかかっているようで、映像は綺麗です。ですが、肝心の内容が・・・
本来「マフィア(汝は人狼なりや?)」というゲームは推理性溢れるゲームなんです。
ですが、この映画内ではそれが全然活かされていないのですよね。しかも、映画全体のストーリーも正直訳が分からない・・・
何か「・・・」ばかりが増えるような内容です。
いつもなら、こういう映画の方が考察し甲斐がありそうなんですけど・・・

ここからはネタバレを含みますので、これから観る予定がある人は「キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲーム」を見終えてからにしてくださいね!

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<以下ネタバレを含みます>

登場人物

ギャンブラー:ルカ・セルゲーエヴィチ(市民)
余命3カ月のエンジニア:イリヤ(マフィア)
無実の罪で投獄:イヴァン(市民)
軍人:ウラジミール(市民)
死刑囚:ブッチャー(市民)
孤児:カーチャ(市民)
アルコール依存症の主婦:ラリーサ(市民)
度胸試しで参加:キリル(市民)
予知能力者:コンスタンティン(マフィア)
マリアの追っかけ:ピョートル(市民)
絶望のバレリーナ:マリア(市民)

考察・感想(ネタバレ含む)

この映画で題材となっている「マフィア(汝は人狼なりや?)」には、本来、市民に選ばれた人にも役職という特殊能力持ちが居るものなんです。
その役職はマフィア(人狼)を探す助けになるものなので、自らの役職を明かして他の市民の信頼を得ようとしたり、マフィアがそれに対抗して役職付きの市民を騙ったりすることで、心理戦を増長させるのですが、この映画の「マフィア」にはそういった役職がないのですよね。

更に、本来市民達は、自分が処刑されたりマフィアの犠牲になったとしても、最終的にマフィアを潰せれば勝利のため、協力しあえるはずなのです。
というか、市民は協力しあうことが前提でなければ、マフィアに対してあまりに無力過ぎるのです。
ですが、この映画では投票によって処刑されたり、マフィアに殺された場合、実際に死んでしまうわけですから、完全に個の戦いを強いられてしまい市民vsマフィアという構図が成り立たたないのです。まあ・・・役職がない時点で市民側に協力しあう必要性なんてないのかもしれませんが・・・

それに対し、マフィアは1回目の夜に犠牲者を選択する際、仲間のマフィアを知ることができますし、自分達に都合が悪い人間は無条件で排除することができます。
あまりにもマフィアが有利すぎるんですよね・・・

さらに言えば、1回目の投票時点では、何も推理するための情報がないので選ばれる人は完全にランダムです。
選ばれたら即、死に繋がるゲームなのに運ゲーとかあんまり過ぎです。
何か開始のルール説明の時点から既に心理戦にならなそうな雰囲気が既に漂ってしまっているんですよね・・・
映画内でもこのゲームは落ち目になってきていたということでしたから、最初は人のリアルな死のおかげで人気が出ていたのかもしれませんが、徐々にゲームルールの陳腐さに人が気付き始め、飽きられてきたということをリアルに表現していたということなのでしょうか。
でも、そのリアルさを追求したが故に映画自体もつまらなくなってしまうんじゃ意味がない気がするんですけど・・・

とりあえず、ゲームの進行に合わせて、参加者の動向などを考察してみることにします。

1日目

1日目の投票によって選ばれた人:マリア
1日目のマフィアによる犠牲者:ブッチャー

何の情報もないのに、突然キリルがマフィアだと言い出したマリアが投票によって殺害されました。
まあ・・・当然ですよね。このゲームで死ねば、実際に死んでしまうわけですから、何の確証もない状態で軽率な発言をする人は同じ市民にとっても害悪でしかないわけです。
しかし、マリアかピョートルかというあの時点でマリアが選ばれたのにはちゃんとした理由があります。
最初の投票というのはヒントがほとんどないため、どうしても罪悪感を伴います。まして、選んだ相手が本当に死んでしまうということであればなおさらでしょう。よって、誰かが最初に投票した場合、後から人がついてきやすくなるはずです。

この時、他の人にマリアを選ばせるべく最初に投票を行ったのはイリヤです。
マフィアであるイリヤがこのリスクを負ったのには理由があります。
1にマリアが選択肢に入る最初の理由を作ったのがブッチャーであること。これにより、最初に投票したとしても責任が問われにくくなります。
2に市民を自由に殺せるマフィアにとって、マリアが選ばれた方が都合が良いこと。マリアとピョートルの関係が明らかになったことで、マリアが殺されれた後、ブッチャーをマフィアが殺せば、ブッチャーを恨んでいるであろうピョートルに疑いの目が向くことは必至です。
そこで、ここは積極的にマリアに票を入れさせる理由があったのでしょう。

2日目

2日目の投票によって選ばれた1人目:ピョートル
2日目の投票によって選ばれた2人目:ウラジミール
2日目のマフィアによる犠牲者:ラリーサ

この映画のマフィアでは3人の市民が死んだ場合はマフィアの攻撃を1回スキップできるみたいですね。
まず、2日目最初の投票で選ばれたのはピョートルです。マフィア達からすればブッチャーが死んだことによる疑いの目をピョートルに向けたいため、マフィアであるコンスタンティンはピョートルがマフィアだと言い出しました。
しかし、ピョートルは思わぬ反撃をします。自分はマフィアだと言い出したのです。もしそれが本当であれば、2日目である今はマフィア同士はお互いを知っているので、コンスタンティンもマフィアだということになってしまいます。全員が自分の勝利を願っている状態であれば、絶対にこのような反撃が無いと踏んでのことでしょうけど、ピョートルはマリアが死んだことで自棄になっていました。それはコンスタンティンにとって予想外のことだったのかもしれません。

しかし、冷静に考えるとコンスタンティンは予知能力があるということを皆に知られてしまっているため、ピョートルが言うように市民であるマリアに投票した上で、ピョートルがマフィアだと言い出すのは頂けない気がします。
能力が本当だと思う人にも、マリアを見殺しにした時点で嘘が疑われますし、能力を信じていない人にとってはなおさら信じられない要因になるでしょう。
先ほどイリヤが最初に投票して目立ったため、コンスタンティンが代わりにピョートル推しをしたのでしょうけどこれはあまり良くないですね。
実際、ピョートルかコンスタンティンかという投票が始まることになります。

しかし、この投票でさらに腑に落ちないことに・・・マフィアはお互いを知っているわけですから、命がかかったこの状況であれば協力しあった方がどう考えても良いはずです。確かに片方が居なくなれば賞金は独り占めできるかもしれませんが、死ぬ間際に好き勝手言えるこの映画のゲームでは、死の間際に裏切ったマフィアの名前をばらすことだってできちゃうんですよね。
にも拘らず、イリヤはコンスタンティンに投票してしまいます。
そもそも、ピョートルが殺された場合、マフィアが騙りだったとわかるわけですから、コンスタンティンがマフィアだといったピョートルの発言の信用は無くなるはずですし、コンスタンティンを見捨てる必要なんて全然ないはず。なんでそんなことしたの?

この日2回目の投票では犯罪者であるイヴァンを責めるウラジミールを、イヴァンに負い目があるラリーサが庇ったことでウラジミールが激高し、それによって起こった感情的な投票によりウラジミールが選ばれてしまう。
マフィアの2人は彼が市民であることを知っているわけですから、そういう流れになれば乗って当然ですが、他の人にとっては何の心理戦でもないですよね・・・
そもそも、何の能力も持たない市民は論理的にマフィアを炙り出すことができないわけですし、それこそメンタリストでもなければ心理戦になんてならなそうですけど。

2日目のマフィアによる攻撃で選ばれたのはラリーサでした。
う~ん・・・このマフィアの選択にはどのような意図があったのでしょうね・・・正直この後のコンスタンティンの驚きの行動を考慮すると、論理的に考える意味なんて全くないような気がしなくもないんですけどね。
まあ、イヴァンとラリーサの間に何かしらの関係があると踏んで、投票で選ばれやすい犯罪者のイヴァンを残したのかもしれません。

3日目

3日目の投票によって選ばれた人:コンスタンティン
3日目のマフィアによる犠牲者:イヴァン

3日目にコンスタンティンがカーチャに対する「時が来たら迷わず跳べ、カギとなるのは三角形、それが見えたとき出口と救済の道が近い」という予言の後、驚きの行動にでます。
イヴァンを推すコンスタンティン、同じマフィアであるイリヤもこれを援護するが、キリルとカーチャがそれに反対します。
最初の投票では、イヴァン3票、コンスタンティン2票、イリヤ1票と分かれます。
これにより、絶対多数が得られなかったため、この3名で再投票が行われます。
カーチャ、キリル、ルカがコンスタンティンに票を入れる中、コンスタンティンは自分に票を入れ自ら脱落するというありえない行動に出ます。
コンスタンティンはこれによりゲームの流れが変わると言っていましたが・・・

この日のマフィアの犠牲者はイヴァンでした。コンスタンティンが死亡したことにより、残るマフィアは1人だけです。
つまり、イヴァンを殺すと決めたのは1人のマフィアの独断ということになります。
イヴァンはイリヤをマフィアだと言っていた人物です。さすがにこれは分かりやすすぎるんじゃ・・・

確かにカーチャやキリルはイヴァンを信用しきっていましたし、ここでイヴァンを殺さなければ次はイリヤに確実な1票が入るでしょう。
4人しか残らない状態で確実に自分に1票が入ることは危険と考えて殺したのでしょうけど、それをしてしまうとイリヤが最も怪しくなります。
なので当然この流れからいくと、イリヤが投票されることになりそうなものですが・・・

4日目

4日目の投票によって選ばれた人:カーチャ

どう考えてもここはイリヤを選ぶべきなのですが、どういうわけか投票者を決めきれずその日の犠牲者をランダムに選ぶことになります。
そして、選ばれたのがカーチャ。それに対し、前日にカーチャと知り合ったというキリルは自分の席を飛び出し、カーチャの元へ行き、カーチャとともに死の恐怖を体験することに・・・

しかし、2人は死の恐怖に打ち勝ち無事生還するもゲーム的には脱落。これによりマフィアの数が市民と同数になったためマフィアの勝利となり、マフィアであったイリヤは無事賞金を手に入れ、ルカは死ぬことなく敗者となりました。

でもって最後に、

カーチャ「コンスタンティンはヒーロー、あの悪魔を倒すためにゲームの流れを変えてくれた。でも、私達は負けた」

キリル「いや、まだ何も終わってない」

と言って話は終わります。
ちなみに最後のカーチャによるナレーションは「マフィア」というゲームの内容に対するお話でしょう・・・たぶん。

結局・・・

市民側があまりにも不利過ぎて、感情論による投票ばかりになってしまい、全然心理戦なんてなかった!
むしろ、最後の投票でイリヤが選ばれなかった意味が分からない!

結局の所、コンスタンティンって何がしたかったのでしょうか。
彼は人気が低迷し始めていたこのゲームが再び人気を取り戻すために製作者サイドから送り込まれたサクラだったみたいです。
しかし、最後に彼は製作者の意図を裏切ったみたいです。
結局彼が何をしたかったのか全く明らかにされないため、またも勝手に推測するしかなくなってしまいましたね。

コンスタンティンが何をしたかったのかを考えてみる

恐らく、製作者もコンスタンティンもこのゲームの人気が再復活することを願っていたと考えます。(再復活を予知していたらしいですし)
しかし、製作者とコンスタンティンではどうやら考え方が違っていたようです。

この映画内の「マフィア」というゲームは、どう考えてもマフィアが絶対的有利なゲームです。
それにより、マフィアが最後まで犠牲者を増やしてくれるので、ゲームでの犠牲者も増える。
その残虐性こそが人気に繋がると製作者は考えていたのかもしれません。

ですが、コンスタンティンは違っていたようです。
3日目にイヴァンが1人イリヤを執拗に疑ったことで、自分がここで死ねばマフィアが負ける流れを作れると思ったのかもしれません。
そして、その新たな展開こそがこのゲーム復活には必要だと考えたのかもしれません。
しかし、生き残った市民達は明らかに怪しいイリヤを何故か投票で選ばなかったため、結局マフィア側の勝ちになってしまいました。
これが真実であれば、カーチャとキリルの最後の話の辻褄もあいます。

こう考えた場合、コンスタンティンが間接的にカーチャの敗退を予言したことがコンスタンティンの想いに反することになるのですが、
コンスタンティンがしたカーチャ敗退の予言も、イヴァンが執拗にイリヤを疑い始める前の出来事ですし、イヴァンの行動によってゲームの流れが変わったことを確信し、自分がここで死ぬ決断をしたのかもしれません。

だとすると、マフィア勝利によって犠牲者を増やして人気を取り戻したい製作者に対し、市民の勝利という新たな流れによる人気の復活を望んだコンスタンティンの行動は裏切りと取られたのかもしれませんね。

まとめ

「マフィア(汝は人狼なりや?)」自体が心理戦を楽しむためのゲームなのにもかかわらず、どうしてそれを題材にした映画が心理戦を感じさせないような仕上がりになってしまうのか・・・
さらに、参加者が最も恐れるものを再現し、その恐怖によって死ぬと謳った割に、あまりにも直接的な描写ばかりで、何ら恐怖心を煽るような感じになっていないんですよね。
結構製作費がかかっていそうな映画なのに、ここまで観ていることが辛くなったのは久しぶりかもしれません。

ロシアの映画って・・・映像は綺麗なものが多いんですけどねぇ・・・内容がなぁ・・・
製作国がロシアな映画には気をつけねばならないと感じ始めた私でした。

以上です。

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キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲームを観た感想と評価:映画考察」への2件のフィードバック

  1. めたる

    確かに高度な心理戦にはなっていませんでした
    こじつけであっても、福本や甲斐谷の漫画の方がマシに思えるくらい
    いや、実際そうだったかもしれません(笑)

    返信

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