投稿日:
皆さんこんにちは。
最新ゲームよりも遥かにレトロゲームばかりやっている伊達あずさです。
別に「レトロゲームの方が最新ゲームより面白い!」などと言うつもりはないのですが、レトロゲームに慣れてしまうと、最新ゲームが何処か物足りなく感じてしまうんです。
レトロゲームの面白さって、未熟・・・というか、未発達な部分にあると思うんですよ。
ゲームの製作技術が成熟した今であれば、チャレンジングなシステムを作ったとしても、ゲームとして成立しなくなるほど外したりはしないでしょう。それは今までに積み重ねてきたゲーム制作のノウハウが活きているからに他なりません。
でも、特にファミコンの頃って、チャレンジングなシステムを導入した結果、ゲームとして成立しなくなってしまうほど癖のあるゲームが世に放たれてしまう事もあったんですよね。
最初に遭遇する敵すら普通には倒せないとか、プレイヤーの采配如何によらず、理不尽に戦闘の勝敗が決まっちゃってるとか・・・
もちろん、これらのことは現代ゲームでも多少はあるでしょうけど、レトロゲームの崩れ方と比べるとやっぱり可愛いものです。
確かにこれらのシステムの崩れは実際にプレイしているとイライラの素になるのですが、壊れ方も突き抜けてくると、逆にどうにかしてクリアしてやろうっていう変なやる気が湧いてくるんですよね。
思い起こすと、私の場合、夢中になってやったゲームって、多かれ少なかれ必ずゲーム中にイライラしてるんですよね。やっぱり、本気でプレイしていると、どうしてもイライラもセットになっちゃうんですよね。
偶に「遊びでそんなイライラするなんて馬鹿々々しい!」などと蘭丸さんから言われちゃうこともあるのですが、以前別の記事でもお話した通り、幸福感って環境の差によって生まれる物だと思うんですよ。つまり、イライラする程の強い不満があるからこそ、それを解消した時により強い達成感や幸福感を得られるのです。
別に爽快感優先のゲームが悪いというわけではないのですが、そういうゲームって私の場合は結構飽きるのが早かったりするのです。
で、です・・・ここまではまだ分かるんですよ。黎明期の頃のゲームがシステム的に未熟であることは別に何らおかしなことではありません。
でも、不思議なことにファミコンのゲームにはストーリーまで未熟・・・というか、不可解なものが多いのですよね。
テキストをほとんど読まずにシステムだけ楽しんでいた頃には気づきませんでしたが、大人になってから改めてプレイしてみると、結構無茶苦茶なストーリーが多いのですよ!
しかし、別にストーリーに関してはレトロゲームだから未熟だなんてことは無いはず。だって、今の小説の方が昔の小説よりストーリーが優れているとは必ずしも言えませんもん。物語を作る事に関しては、あまりにも歴史が深すぎて、私の人生程度の長さではそこまで大きな差が生まれるはずありません。ゲームに対するシナリオの提供方法って他とは違う何かがあったりするのかな?ともあれ、結構、粗削りなストーリーが多いんですよね。
でも・・・不思議とこれがまた面白いのです。完璧を装っているのに穴だらけのストーリーはむかつくだけなのですが、レトロゲームの多くは潔いほどにストーリーの穴を隠そうともしないため、逆に可愛く見えてきちゃうんですよね。明らかに理不尽だろ~とか、どうしてこんな明らかに不利な選択をするのよ~などと、罵倒しつつも、それらに無理やり根拠を持たせようと考えてみると、意外に深いストーリーが見えてきたりするんです。
今まさに世界が滅びようとしている時に、町で素っ頓狂なセリフを吐き続けたり、世界を救おうとしている主人公に失礼な発言をする住人達を見ると「こんな人おかしいでしょ!」と、一瞬思うのですが、でも、実際の世界にも確かにこういう人っているんだよなぁって、人生経験を積んだ大人になったからこそ理解できる妙なリアリティを感じるのですよね。(もちろん、レトロゲームの場合、これらの演出が狙ってのことなのか、偶々なのかは謎ですが!)
現代ゲームの場合は、なかなかそこまで隙がある作品って少なくなってると思うのですよ。
そんなシステムやストーリーの隙を敢えて突いて楽しむも良し、隙を自分の発想と想像で自由に埋めて楽しむも良し、レトロゲームは人生経験が豊富になった大人こそ、フルに楽しむことができるのではないかと思うのです!
確かに現代ゲームに慣れてしまった今、ノスタルジックに浸ってレトロゲームをプレイしてみたとしても、システムの理不尽さやグラフィックのショボさによって、ゲーム開始直後にやる気を一気に奪われてしまうかもしれませんが、そこを少し耐えてみると、スルメの様な味わいが待っている・・・かもしれません。
今のゲームは楽しさを向こうから積極的に提供してきてくれますが、レトロゲームの時代は自分から楽しさを見つけに行くものだったはず。当時のゲームに対する姿勢を思い出せば、きっとまた昔のように楽しめるようになるはずです!
私としては、レトロゲーム世代では無い方にも、色んな意味で斬新なレトロゲームの世界を1度体験してみて欲しいな!
Studio POPPOのプログラム兼システム担当です。
ウォーキング・デッド大好き!ダリルかっこいいよっ!主食はキノコです。
現実だとロシアとウクライナとかイスラエルの問題って、
ゲームだと魔王軍との戦いくらい重要なのかも知れませんが
私のような平民は遠くの戦争より、身近な生活の方が重要になってるので、勇者がふらっと来ても『物価が上がって困る』とかしか話せないかも
確かに他国の戦いとなれば関心度も薄まろうかとは思うのですが、ぱお~ん、僕は象じゃないよと言っているのは戦争当事国の人なのですよね・・・
伊達あずさ様へ、
自分的な感想で表現致しますのも、些か恐縮(至極)かと存じますが…、レトロゲームの探訪(克つ堪能)とは、
所謂『温故知新』では無いかと思います。
何よりも顕著なのが、セーブ機能(パスワード→Bバックアップ)では無いかと思いますが、如何でしょうか?
コメントありがとうございます。
昔は何の疑問も抱かずにプレイしていたものを、当時より見識が広まった今プレイするからこそ、ある意味、時代が許した斬新さを理解した上で堪能できるという意味では確かに温故知新なのかもしれませんね。