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蘭丸です!こんにちは。
現代では本当はちびだったとか、匂いフェチとか、彼の国はそもそもあまり戦争での勝率が良くなかったりするため(ドイツとイギリスに挟まれてるしね…)有名人ではあるけど日本で大人気とまでは言い難い「ナポレオン・ボナパルト」氏ですが、幕末の日本では超大人気を誇っていたそうな。何で…?吉田松陰も「志を持つ者は、ナポレオンのように『自由』を唱えなさい」と言っています。吉田松陰といえば坂本龍馬も影響を受けた人物。幕末では相当の人が「ナポレオンかっこいい」って思っていたに違いないのです。
ナポレオンって何した人?といきなり言われても「なんか…英雄」「なんか皇帝?」的なふんわりしたイメージになっちゃってるような気がしますが、ナポレオンはフランス革命後のフランスで、オーストリア等を相手に戦って、フランスにしては珍しく勝ちまくった英雄。ナポレオンの起こした戦いは「ナポレオン戦争」と一括りにされています。最後は島流しに遭ったことは有名かもしれませんね。ナポレオンが負けるまでがナポレオン戦争です。ナポレオンのいた頃のフランスは、恐ろしいほどの強さ。信長包囲網ならぬ、ナポレオン包囲網まで登場するほど(しかも4回も)、ヨーロッパで猛威を振るいました。すごいぜナポレオン!
ちなみにジャケットなどの袖に意味不明なボタンが2~3個付けられるようになったのは、ナポレオンの仕業。寒いとこを行軍する時は寒くて鼻水が出ます…。しかし、いちいちハンカチだので鼻水をふくのがめんどい兵士たちは鼻水を軍服の袖で拭っていました。それを嫌ったナポレオンは「ボタンをつけちゃえば、鼻水拭きづれーだろ!」っていう理由で、新軍服を袖ボタン付きにデザインしたのです。あのボタンは、何かの予備とかではなく、「鼻水を袖で拭くな」というナポレオン様からのメッセージが込められているので、現在花粉が舞っているようですが、鼻水はティッシュで拭きましょうね!
そんなナポレオンの残した言葉…有名すぎてみんな知っていますよね。
「余の辞書に不可能という文字はない」ってやつです!
これだけ見ると、ナポレオンが平家のように驕っているように思えてしまいますね。この言葉はどんなシチュエーションで飛び出したのでしょう。
これは、ナポレオンが前代未聞のアルプス越えをしようとしている時の言葉です。ナポレオンはオーストリア支配下の北イタリアに軍を進めようとしていましたが、イタリアの北には、アルプス山脈が座してます。この時、ナポレオンは挟撃作戦を実行しようとしていたので、どうしてもアルプス山脈側から攻めたかったのです。しかし、越えようとしている「大サンベルナール峠」は、もーちょっと行ったらモンブランじゃんレベルの山。当然、兵は「帰って美女とぬくぬくしたい」とか考えてしまいます。
そこでナポレオンが言ったのが「不可能という言葉は愚か者の辞書にのみ存在する」という言葉。「私の兵士たち、お前らは優秀なんだから、辞書にそんなの載ってないよねっ!?」という、鼓舞のための言葉だったんです!
ナポレオンの励ましの言葉が効いたのかどうか、5万のフランス軍は、佐々成政ばりのアルプス越えを成功させ、6日後にオーストリア軍を撃破。この戦果によってフランスはその国力を諸国にこれでもかと思い知らせることに成功しました。オーストリア、ロシア、イギリスと和平条約を結ぶことになります。あれ、プロイセンは?
というわけで、ナポレオンの「我が辞書に不可能という文字はない」という言葉は、「私たちの辞書に」と言い換えてもいいかなっていう場面で発せられたものでした。ナポレオン株上がったでしょうか?
ちなみにナポレオンの肖像で有名な、あの馬にまたがってるやつ、あれはまさにアルプス越えしようとしているナポレオンだったりします。
さらにちなみに「佐々成政って誰だよ」という話をすると…彼は信長の部下で、読み方は「さっさなりまさ」。彼は、苗字の読み方が初見殺しということと、真冬に北アルプス(立山連峰)越えをしたということが有名な武将です。北アルプスという名称こそ後からつきましたが、現代人が現代の装備を揃えててもちょっと遠慮したいと思ってしまうような山を越えてった(しかも一番ヤバい時期に)という意味ではアルプス越え界ではナポレオンの先輩と言えます(諸説あり)。どうして佐々さんがそんなクレイジーなことを敢行したのか…それはまたの機会に!(?)
蘭丸でした!ではでは!!
ああんゴルシかわいい
Studio POPPOの変な記事担当です。武田信玄の軍配が欲しくて100円貯金しています。ゾンビが来たら軍配で殴るつもりです。(よくないゲームの影響を受けている)