「*けんしんのこうげき!しんげんはひらりとみをかわした!」←そんなことはなかったかも?【川中島の合戦】

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こんにちは!高校で日本史をとってない栁澤蘭丸です。
世界史の魅力には抗えなかったんです…それに人名やら地名やら漢字覚えないとテストでバツ貰っちゃうし。その点世界史は音だけ覚えればカタカナだからいいですよ~。

…でも結局のところ三国志やら戦国時代は好きです。ロマンがある!

戦国時代前半で有名な戦いと言えば…「第〇次川中島の戦い」がありますよね。「かわなかじまのたたかい」…聞いたことはきっとみんなあるはず。だけど教科書で「武田信玄がどこそこでああしてこうしてキツツキ戦法破れたり!」みたいなことは教わらないですよね…。
上杉謙信と武田信玄は暇さえあれば合戦やっていましたよってな感じでしか習いません。この2人の勝率は、武田信玄が46勝4敗13分で戦国5位。上杉謙信が41勝5敗12分で戦国7位となっております。周り敵だらけ、本当の乱世にあってこの成績はさすがと言わざるを得ない数字です。

そんな戦国武将のエース2人による川中島の合戦ですが、これ、有名なのは、信玄の本陣に謙信がつっこんできて、謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めた!っていうエピソードですよね。あの時の合戦が、最大の川中島の合戦だと言われています(1561年)。何故、このエピソードが川中島の合戦のハイライトとして語り継がれるのでしょうか。実は、この場面を絵にした屏風絵が有名だからなのです。あとは、「甲陽軍鑑(軍艦じゃないよ)」にも、その様子が記されています。「甲陽軍鑑」は、「甲」っていう字が使われているので想像がつくと思いますが、武田側の資料です。武田家の戦術やら戦略を記した教科書みたいな…?もの…?口で語られたものを違う人が記した、というていをとっているので、宮本武蔵の「武公伝」みたいなもんかも。武公伝よりは印象操作はなさそうなイメージですけども。(あくまでイメージ)

武田側の資料を基にして描かれたと思われる屏風絵は、まぁ、当たり前と言えば当たり前なのですが武田側が有利に戦況が描かれています。本陣に大将がつっこむくらいだからそりゃそうですよね。馬上から刀を振るう謙信と、謙信の刀を受け止めている信玄が描かれています。

が!実は、上杉側の資料だと、実は、1561年にこのような一騎打ちはありません。謙信と信玄の一騎打ちは、1554年にあった、となっています。そして、謙信が本陣につっこんだわけではなく、信玄・謙信両者が馬に乗って川をバシャバシャしつつ斬り合ったそうです。特に上杉劣勢だったというわけではなさげな書き方ですね。想像するだにかっこいいですけど。毎回毎回大将が一騎打ちするのはさすがに無理があるので、どちらかが正しく、どちらかは間違っている。または、どっちも間違っている。どれでしょう…。

上杉側の資料を基に描かれたっぽいお?という屏風絵も発見されています。が、しかし、武田側の屏風絵が有名すぎて今更浸透しないかもしれないという感じですよね~…。しかも、蘭丸だってみんなだって上杉の跡継ぎじゃないんだし「うちの謙信公が優勢だったんだからね!?」と激しく反論する人もいないわけで、戦国時代が好きな人の中でも、信玄、謙信が好きな人が、詳しく川中島の合戦について知ろうと本の虫になったりしない限りはもう誰も言う人もいないし。目立ったもの勝ち。

合戦の詳細までは学校で習うわけじゃないしねぇ。でもこんな話もあるよって言う感じで読んで下さったらうれしいなと思う蘭丸です。

あ、ちなみによく「第〇次」って頭につく川中島の合戦ですが、実は実は何回起こったかは分かっていません…。キツツキ戦法が破られて本陣に「毘」っていう旗だけヒラヒラしてたっていう話も何回目の川中島の戦いでのことかもよく分からないのです…昔のことを知るって言うのは大変なことですね…。
さらにちなみにですが、実在が怪しまれていた勘助ですが、一応「山本菅助」さんが山本勘助のことじゃないかい?と言われています。よかったね勘助( ;∀;)

「*けんしんのこうげき!しんげんはひらりとみをかわした!」←そんなことはなかったかも?【川中島の合戦】_挿絵1

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