名作と呼ばれる物語は日常感と非日常感の絶妙な狭間に潜んでいる

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皆さんこんにちは。
パッケージ選定眼が皆無の伊達あずさです。

大分大人になるまでTV番組すらろくに観ていなかった私だったのですが、今や映画からアニメまで幅広く観るようになってしまいました。
人って本当に突然自分でも驚くほど変わるものですね・・・
昔は能動的な事を好む私でしたが、今ではすっかり受動的な行為に慣れ親しんでいる状況です。

さて!
そんな動画系初心者の私が最近ふと気づいたことがあります。
それは、物語のエンディングについてなのです。
エンディングって大事ですよね?
だって、物語の印象の殆どがエンディングによって決まってしまうと言っても過言ではないからです。

ゲームのように能動的なものであれば、マルチエンディングなんていうことも可能ですが、映画やアニメ(小説も)といった受動的な物語では当然エンディングは1つに絞られてしまいます。
そうなった場合、大抵の物語のエンディングってハッピーエンドかバッドエンドかのどちらかになりますよね?
皆さんはどちらのエンディングが好みでしょうか?

恐らくは・・・ハッピーエンドの方を好む人の方が多いんじゃないでしょうか。
私は変人なのでバッドエンドの方が好き・・・と、思いきや!
実はハッピーエンドの方が好きなのです。
でも、思い返すと、完全無欠のハッピーエンドで終わる作品にあまり惹かれた経験ってないのですよね。

人って物語に一体何を求めているのでしょうか。
やっぱり、冒険ですよね!
勿論それは秘境を探険するとか、ゾンビの群れと戦うとかそういうものだけではなくて、好きな人に全力で想いを伝えるとか、勇気を振り絞って自分の殻を破るとかそういうものだって立派な冒険です。
ですが、現実世界の私達は様々な柵に囚われて冒険することが出来ない・・・
そんな欲求を人は物語を観る(読む)ことで解消しているのではないでしょうか。

とは言え、冒険しまくればいいのかというと・・・それはそれで問題です。
何故なら、それを観たり読んだりしている人にとって、冒険というのはとても非日常的なことのはずです。
人はその非日常性に憧れるわけですが、同時に理解しにくいものでもあるのです。

例えば、頭脳明晰、運動神経抜群、見た目も美しく、性格は優しく常に言うことは正しい、強い信念を持っていて、世界の人のためだけにその身を捧げている完全無欠の人物・・・なんていう人が主人公の物語ってどうでしょうね?
何となく人間味が皆無で共感できなさそうじゃないですか?

ちょっと、主人公が非日常的過ぎるんですよね。
人間味っていうのは、ある意味日常的ってことです。
人間的に何かしら欠けていることが当たり前の世界で生きている私達とって、そんな主人公は非日常的過ぎて、気持ちが理解できなくなっちゃうんですよね。
自分の冒険心を満たすため物語に触れているのに、その物語の象徴とも言える主人公の気持ちが一切理解できないとなると・・・
果たしてその欲求は満たされるのでしょうか?
多分、満たされませんよね。

やっと、長い喩え話の末にエンディングの話に戻ります。
多くの人が物語にハッピーエンドを望むのは、誰だって幸せになりたいからです。
まして、自分を投影し易い主人公が登場する物語であれば、なおさらのことハッピーエンドになって欲しいと思うのは当たり前です。
ですが、同時に人はこの世の全てがハッピーエンドではないことを知っているのです。
何故なら物語に触れている本人自身がそうだからです。

この世に完全無欠のハッピーを持っている人が果たしているのでしょうか。
この広い世界の中には想像も出来ないような裕福な人だって沢山いるでしょう。
でも、その人達にも必ず何かしらの悩みがあり、今より幸せになりたいと確実に願っているはずなのです。
結局のところ、完全なハッピーエンドというのは、誰にとっても実は非日常的なことなのですよね。

さて、冒頭でハッピーエンドの方が好きといった私ですが、完全無欠のハッピーエンドの物語とバッドエンドの物語ならどっちが好きかいう問われ方になってしまうと、「バッドエンドの物語の方が好き」と答えざるを得なくなってしまうのですよね。
悲しいかな、完全なハッピーエンドよりバッドエンドの方が私には日常的で共感しやすいのです。
とは言え、物語の中でまでもバッドエンドなんていうのはちょっと報われなさすぎ・・・
人生とは違って、物語は自分で選り好みできるわけですから、何もわざわざバッドエンドを望む必要もありませんよね?

そこで今回オススメするのが条件付きハッピーエンドです。
条件付きハッピーエンドとは何か・・・
例えばそうですね・・・

「主人公は世界を救えなかったけど、壊滅後の荒涼とした世界の中で本当の仲間を得た」とか

「好きな人と一緒になることは出来なかったけど、その人の命は救うことが出来た」とか?

多くの何かを失ってしまうが、主人公的にはそれを超える何かを得ているパターンですね。
思い返すと、私が観終わった後に良かったな~って思う作品は大抵、条件付きハッピーエンドだった気がするのです。

物語のエンディングって、日常と非日常のバランス大切だと思うんです。
共感できる程度の日常を持ちつつ、冒険心を満たすことができる非日常性があふれている・・・これこそが名作なのではないでしょうか。
と・・・お買い物に歩く道すがら、突然そんな事を考えて始めてしまう私なのでした。

あ~~~早く「★★★★★」の映画見つけないと!!!

P.S.
でも、いくらエンディングの出来で作品の善し悪しが決まると言っても、観る作品をエンディングありきで選ぶ訳にもいかないのですよね・・・
そんな、推理小説を最後から読むような、マニアックな楽しみ方ができるほどの達人にはなれそうにありません。
何たるジレンマ・・・

名作と呼ばれる物語は日常感と非日常感の絶妙な狭間に潜んでいる_挿絵1

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名作と呼ばれる物語は日常感と非日常感の絶妙な狭間に潜んでいる」への4件のフィードバック

  1. オーヤナーギ

    スティーブン・セガールさんの沈黙シリーズは
    全然ピンチシーンが無くて
    『もう少し敵も頑張れ』と思いながら見てました

    返信
  2. スイッピ

    こんばんは(*・ω・)
    観た者の胸に、何かしこりを残すような、余韻ある終わり方をする映画って、全くのハッピーエンドよりも印象に残りますよね(っ´ω`c)
    伊達さんが以前ブログで書いていたバタフライエフェクトとか、クリント・イーストウッド監督のグラントリノとか、トイストーリー3とか。。。
    ハリウッドらしいハッピーエンドもイイですけれどね(*´ω`*)

    返信

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