物語にリアリティを持たせ過ぎると読み手には必ず苦痛がもたらされる

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皆さんこんにちは。
結構アニメを観ることが楽しみになってきた伊達あずさです。

そんな私が最近楽しみにしているのは「Re:ゼロから始める異世界生活(リゼロ)」というアニメです。
でも、この記事ってエンタメ紹介ではないただの雑談記事なのですよね。
というのも・・・あまり、簡単にお勧めしていいものでもないかな~と個人的には感じたからなのです。

ぽっぽブログで映画考察をたまに書いている私は、出来るだけ自分が最初に抱いた感覚を大事にしたいため、他人の考察を見ずに書くことを自分ルールとしています。(あくまで私担当の考察限定の勝手なルールです!)
映画考察時には鉄の精神で頑なにそれを守っていますが、所詮、私はただの人・・・やっぱり、自分の感覚と周りの皆さんの感覚の違いは多少・・・いえ、大いに気になってしまいます。
そんなわけで、考察を書く予定もないアニメに関しては結構他の皆さんがどのように感じているのか気になってしまうのです。

「Re:ゼロから始める異世界生活」についても偶に調べてしまうのですが、結構、皆さんの評価って両極端なのですよね。
「人気・話題がある作品にはアンチが付き物!」とは良く言いますし、有名なものである以上、それは当たり前のことなのでしょうけど・・・それ以外にも、この作品には好き嫌いを明確にしてしまう様な要素が含まれている気がするのです。

正直言いますと・・・この作品のストーリー調は私が苦手とするタイプです。
つまり、観ていると主人公が可愛そう過ぎて、ひたすらに心が苦しくなっていく系です。
他人の不幸に身震いしてしまう私はこの手のストーリーを見続けることにかなりの苦痛を伴ってしまうのです。
にも関わらず、私が見続けているのには主人公のスバルに妙なリアリティを感じてしまうからなのですよね。
しかし、このスバルのリアリティこそが「Re:ゼロから始める異世界生活」の好き嫌いを分ける大きな要因でもあると思うんです。

リアリティその1:主人公の性格

私が苦手とする「ひたすら理不尽な酷い目にあう系ストーリー」に登場する主人公というのは、とにかく情けないとかおとなしいとか、何だか弱い・・・性格的弱者(お人好しとか臆病とか)をイメージさせる人が多い気がします。
そんな性格的弱者が圧倒的理不尽を耐え抜き、やがて自分の運命に抗い、そして最後には打ち勝つ・・・そんなサクセスストーリー・・・
なのでしょうけど、私には視るに耐えないのです!!サクセスするまで可哀想過ぎて見ていられないのです!

ですが、「Re:ゼロから始める異世界生活」の主人公スバルには決して性格的弱者のイメージはないのですよね。
どちらかと言うと・・・異端児?かな?
キャラ設定上も「不登校な高校生」となっているみたいですが、性格的弱者・・・と言うよりは灰汁が強すぎて、協調を重んじる日本社会に馴染めなかったという感じがします。
そんな日本社会の爪弾きものであるスバルが異世界に突然召喚され、酷い目に会いつつも、微妙に馴染むわけですが・・・
最近ブームになっている異世界ファンタジー物のストーリー調ではあるものの、ここに一種のリアリティを感じるのですよね。

異世界ファンタジー(ネット世界なども含む)によく描かれることは「現実世界では弱者だったものが、異世界では強者になる」という、現代社会の弱者達に夢を与えるストーリーであることが多いわけです。
そこで性格的弱者を体現するために良く用いられる要素が「コミュ障」です。
でも、多くの異世界ファンタジー物では異世界突入後、主人公の弱者設定が綺麗に消え去ってしまっているんですよね。

異世界召喚というファンタジーな要素が既にあるわけですから、主人公に多少チート能力があっても別に不自然とは言いません・・・が、異世界に行ったということだけで主人公の性格までチート級に変化してしまっては主人公の弱者設定が意味の無い物になってしまいます。
でも、物語上仕方ないのもわかるんです・・・だって、本当にコミュ障だった場合、異世界に行っても確実に活躍できないですもんね・・・むしろ、勝手が分からぬ見知らぬ土地の方がより致命傷になりかねません。
私も人と話すのがあまり得意ではないので、その辺は痛い程理解できてしまうのです。

その点、スバルの場合は「アメリカ人が日本に住んだから馴染めませんでした」というレベルの話であって、異世界という異文化世界であれば適合できる可能性も十分にあったのでしょう。
しかしながら、「異世界に馴染める理由」という意味でのリアリティは十分なのでしょうけど、日本人に爪弾きにされる様な性格の主人公に「日本人である私達が共感する」のはちょっと難しいのかも。

主人公に共感できるか否かが作品にとって重要な要素となりうる限り、このリアリティが好き嫌いを極端に分ける要因の1つとなってしまっていることは否めません。

リアリティその2:主人公の精神的な弱さ

私が最近良く見かけるアニメ主人公は能力的にも精神的にも異常に強い(もはや聖人君子)傾向が強い気がしていたのですが、スバルは案外そうでもないのですよね。
確かに性格的には日本人離れしていますが、根本的な部分は高校生相当?むしろ、ちょっと普通の人よりはしっかりしてるかな。
でも、その程度なのですよね。
なので、酷い目にあえば怯えるし、理不尽な目にあえば怒る、時には感情を抑えきれなくなって、他人にあたったりもします・・・
この作品の作者さんは良くも悪くもスバルの歳相応な精神描写が巧みなのです。
しかし、スバルの精神描写のリアリティさが、視る人を結構苦しめるのです。

能力的にも精神的に強い完璧な主人公を見るのは、ある意味爽快です。
神の視点(物語の外からみる視聴者の視点)のまま見ても、なんら違和感なく主人公に憧れと尊敬を持って気持よく見れます。

ですが、良くも悪くも人間的なスバルの場合はそうは行きません。
確かにスバルの視点に立ってみれば、その気持ちは良く分かるんです。
そう思えるだけの精神描写の巧みさがこの作品にはあると思うのです。
とは言え、スバルが経験しているのは現代に住む私達には到底理解できないファンタジー体験です。
さすがに、苦しんだ末死んだり、自分を殺した人と何事も無かったかのように仲良くするとかちょっと想像を絶する境遇過ぎです。
スバルの境遇が理解しにくければしにくい程、私達はスバルの立場で物事を考えづらくなり、自動的に神の視点から理解しようとし始めてしまうのです。
そうなってしまうと、岡目八目だとは思いつつも、「自分ならもっと上手くやれるのに!なんてこの主人公は愚かなのだ!」という気持ちが抑えられなくなってくるんですよね。
この気持ちは、まるで難度の高いゲームを無理やりやらされているようなイラツキにも似ています。

未来への展望を見出しにくい、疲れた現代の若者達(私も含む!)に娯楽の中でまでストレスを与えるというのは・・・
やはりこの巧み過ぎるリアリティも、逆に好き嫌いを分ける原因になってしまっているような気がするのです。


何だかんだ言いつつ、私はこの作品が好きなわけですが、同時に嫌いな人がいることに何の不思議も感じません。
私は物語の辻褄やリアリティを非常に重要視する傾向があるので、上記のリアリティに耐えられますが、そういった細々したことが気にならず、インプレッションを重要視する人には、純粋に娯楽として楽しめない気がします。
物語には折角色々な種類があるわけですから、何もわざわざイライラするものを選ぶ必要なんて無いですしね。
そういった点から、「Re:ゼロから始める異世界生活(リゼロ)」はかなり癖がある作品かもしれません。

ちなみに先ほど、私はリアリティを重要視する傾向があると言ったものの、心の底ではリアル過ぎる物語はあまり好きになれませんし、見たい(読みたい)という気持ちにもなれません。
だって、物語の中にぐらい、多少の救いを求めたいじゃないですか。
そういった観点からすると、この作品って私が好きではない部類であるとも言えますし、実際、最初の方は好きではなかったのですが、スバルの不幸過ぎる境遇の中にも「常に自分の味方でいてくれる特別な人と出会えるという救い」があったので見続けられたのかもしれません。

まあ、「いつも自分の味方でいてくれる人との出会い」を当然の様にアンリアリティって感じた時点で私の心の闇が詳らかになっている気もしますけど・・・
ともあれ、物語のリアリティは用法、容量を守って正しくお使いくださいってことです!

物語にリアリティを持たせ過ぎると読み手には必ず苦痛がもたらされる_挿絵1
※私の話の流れを完全スルーして、蘭丸さんはただただ自分が好きなキャラ(ラム)を挿絵として描いてきました

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