葛飾北斎は「この1000年で偉大な業績を挙げた世界の偉人100人」

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こんにちは!栁澤蘭丸です。

葛飾北斎…日本史とったら、名前を覚えないといけない人物でしょうか。日本史とらなかったので分からないんですが。
代表作は「富岳三十六景」ですよね!
葛飾北斎は海外で大人気なので、米ライフ誌の企画、「この1000年で偉大な業績を挙げた世界の偉人100選」で日本人で1人だけ選ばれています。たった1人だけ。
ちなみに葛飾北斎以外はどんな人が選ばれているかというと、地動説の「ガリレオ・ガリレイ」、世界初の飛行機パイロット「ライト兄弟」、喜望峰を越えてインドに航海した初めてのヨーロッパ人「バスコ・ダ・ガマ」など、かなり錚々たるメンバーの中にランクイン。

そんな超絶偉人の葛飾北斎ですが。
もう、結構有名なのだろうか…葛飾北斎は、かなり変人だったって言われていますね。

葛飾北斎の変人ポイントその1

掃除を全くしない&引っ越し魔

葛飾北斎は、掃除をしないことで有名でした。整理整頓やら掃除をしている暇があったら絵を描くわ!ということだったのでしょうか…。蘭丸は見習えという感じです。
しかしまぁただ引っ越しをしないだけなら、単なる片付けられない男・葛飾北斎…というだけなのですが、彼は汚部屋になって、「もうだめだこの部屋」ってなったら引っ越しちゃうというところが凡人とは違うのです…!
掃除する気が起きないようなごちゃごちゃの部屋から必要な荷物だけ選別して引っ越すなんて、そっちの方が面倒臭いような気もしますが(・_・;)そして現在なら敷金が!マイナスか!と思ってしまうところなんですが、江戸時代の大家さんはゴミ屋敷にされた部屋をどうしてたのかな…。自分が大家だったら、葛飾北斎に住んでほしい気持ちと、ゴミ屋敷にされたらやだという気持ちがせめぎ合いそうです。
そんなこんなを繰り返し、葛飾北斎は生涯で93回引っ越しをしたんだそうな…。一生分の掃除回数と考えると93回は少ないので、やっぱり引っ越してから引っ越すまでの後半は、ゴチャゴチャの中で絵を描いていたんでしょうねぇ。

葛飾北斎の変人ポイントその2

雅号(絵描きとしての名前)を変えまくり

「葛飾北斎」という名前は、浮世絵師としての名前で、本名というか絵描きじゃない通称は「中島八右衛門」といったそうです。イメージが全然違う。
しかし葛飾北斎はこの名前以外にも、たくさんの雅号を持っていました。「春朗(しゅんろう)」、「宗理(そうり)」など普通っぽい物から「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」など。名前の後ろに卍を付けるって…平成っぽい…!?「卍らんまる卍」みたいな感じですか?違う?!
普通、絵描きの人なら誰だって思うんじゃないか…というものに「名を上げたい!」というのがあるハズなのですが、葛飾北斎ほどの人は違うようです。名前を次々変えたら、この画家の名前は見たことないなぁ、新人かな?と思われて、今まで築いてきたものがゼロに戻るような気がするのですが、葛飾北斎は、名前が有名になってきたらその名前を弟子に譲ってお金をもらうという方法でお金を稼いでいたそうです。なんか…サギっぽいですが(;´Д`)
例えば、漫画家の鳥山明先生が、「ドラゴンボール」で名を上げたからって、その名前を他の人に譲って自分は違う名前でデビューしてたら…次に「鳥山明」名義で発表される作品は、本人の作品じゃないじゃん!ってなっちゃうんですけど!
さらに、後世では「これ葛飾北斎が使ってた雅号だけど本当に葛飾北斎のか…?」みたいな疑問が生まれてしまい、最近まで作者不明の作品もあったんだそうです。
美術館泣かせ…?

葛飾北斎は90まで生きた超絶長生きおじいさんですが、その年になってもまだ「あと5年生きられれば本物の絵描きになれたのに」と言っていたそうだ。決して現状に満足しない人だったのですね。その姿勢がすでに世界の偉人100人に選ばれるにふさわしい気がする。
周りからすればどんどん腕が上がっていって、素晴らしい作品を残してくれる画家!に見えますが、本人が満足できないというのは…本人にとっては幸せだったんだろうかとも思ったりしますが。

葛飾北斎の変人っぷりについてでした!
ではではでは、ではでは~。

葛飾北斎は「この1000年で偉大な業績を挙げた世界の偉人100人」_挿絵1

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