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こんにちは!蘭丸です!森じゃないのにこの話題、紛らわしいですね、申し訳ない!栁澤蘭丸です!
日本史とってても詳しく分からない系話題、川中島に続いて長篠もいってみたいと思います。
まずは、長篠の戦いの概要をば。これは、織田信長の軍と武田勝頼(信玄は既に故人)の間で起こった戦いですね。この戦いで織田軍に負けた武田家は、結果滅亡してしまいます。
そして長篠の戦いのハイライトと言えば何と言っても「三段撃ち」ってやつ。弾を込めるのに時間がかかる鉄砲を、三班に分けて、暇なく弾を撃つようにしたというアレ…が有名になっていると思います。
信長の、馬防柵&鉄砲隊に、武田騎馬隊が突撃してなすすべもなく倒れていく…不死身を誇った馬場さんすらも!みたいな図が想像されますよね!
それは…やっぱし屏風絵の仕業なのです。長篠の戦いの様子を描いた屏風絵が有名なので、そういうことになった…のかもしれないのです。その屏風絵は徳川美術館に納められているそうです。
私の手元にはその白黒印刷されたものがあるんですがなう(長篠合戦図屏風)…、んんん…戦国無双ではちゃんと柵の後ろにいたはずの鉄砲を持った人たちが、何か最前線、柵を背にして、武田の騎馬とまず激突するであろう場所にいる…(; ・`д・´)馬防柵の意味!!戦国無双のムービーのほうがなんか正しい…だと!?
しかも、武田勝頼側(右側)はもう絵がスッカスカで描くの面倒くさかったんかなて感じです…兵士もまばら。でも織田側はめっちゃきれいに描いてあります。旗、柵も整然としていて人口密度も高めです。柵の意味はよくわからないことになっていますが。
というわけでして、この屏風絵は美術品であって、本当の長篠の戦いの様子をしっかり観察した資料を基に描かれたわけではないようです。本当の様子を記したものは?というと、よく登場します「信長公記(しんちょうこうき)」。信長さんの記録係を務めていらした太田牛一氏の著書です!これは信頼できる!(イメージ)
信長公記によると、武田の軍は、歩兵隊と騎兵隊、さらに鉄砲隊で構成されていたようですので、騎馬隊が一斉に押し寄せて全部鉄砲でやられてしまった!ということにはならなそう。武田の戦法は、騎兵と歩兵が交互に攻撃を仕掛けるものだったとも書いてあります。しかも!武田も鉄砲隊を持っていたと。屏風には書いてないけど!鉄砲の画期的な運用をしたのは信長かもしれませんが、戦国大名たるもの鉄砲隊くらいは持っていたってことなのですかね?
長篠の戦いのイメージのせいで「戦国最強の武田騎馬隊オワタ」っていう感じになってしまって、何かまるで無敵艦隊がやられたスペインのごとき悲しみですが。実際は、単なる「鉄砲VS騎馬で鉄砲の勝ち!」という戦いではなかったようです。ようです!!!
では以上で武田軍のフォロー(になってるのか?)終わります!蘭丸でした!
また次の合戦でお会いしましょう~。
↑名付けて…伊達ブリトン軍vs蘭丸ペルシア軍図…!
エイジオブエンパイアというよくできた箱庭ゲー(違う)で私は象を愛していたのですが、伊達さんは象を槍でチクチクして、聖職者(敵兵士を寝返らせる能力(転向)がある兵種)で私の象さんを奪うんです。そんで射程の長い弓でチクチクチクチク。象さん遅いからたどり着けないよ!!(激おこ)
ちなみに伊達さんは象に向かって「馬には」と言っちゃってますが、単に騎兵という意味で、象も象騎兵なので槍に弱いのでした。なにこの挿絵。(ごめんなさい)
Studio POPPOの変な記事担当です。武田信玄の軍配が欲しくて100円貯金しています。ゾンビが来たら軍配で殴るつもりです。(よくないゲームの影響を受けている)