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皆さんこんにちは。
また妙に重苦しいタイトルを付けてしまった伊達あずさです。
でも、今からするのはあくまでもゲームの世界(ゾイド 中央大陸の戦い)のお話です!
昔私がプレイしたゾイド 中央大陸の戦いって共和国vs帝国の戦いを描いた物語なんですよね。
この物語は、共和国が帝国にかなり追い詰められた状態(首都と一番近い町以外、全て帝国に占領されている)から、私の凄まじい活躍で帝国の侵攻を防ぎ、共和国の平和を守るというものなのですが、ゲームの世界では共和国のような非君主国が存在する場合、帝国のような君主国は悪役として描かれることが多いような気がするのです。
大きな力を持った悪役を作りたい場合、個人が尋常ではない力を持っているという設定にもできますが、それだとストーリーが大味になりがちです。そこまで飛びぬけた力を持つ悪役が、何故一思いに世界を滅ぼしてしまわないのか理由付けするだけでも大変ですし、物語を彩る悪の手先達の存在価値も薄くなってしまいます。ですので、より現実的な巨悪を作ろうと思った場合、個人としては大して力を持っていないものの、絶対的な権力を持っていて多くの人間を自分の考えで動かすことができる人物とするのが自然な流れになるでしょう。そう言う意味で、君主国は悪役として最適なのかもしれません。
でも、良く考えてみると君主国って本当にそんな悪い物なのかな~とふと疑問に思うことがあるのです。
私が所属していたのは共和国と呼ばれていた国です。共和国というのは民主主義に基づいて、特権階級ではない国民が直接、ないし、間接的に選んだ代表が政治を行う国の事なのだそうです。
この共和国が基づいているという民主主義による採択では多くのケースで多数決が用いられます。
別に「民主主義=多数決」では必ずしもないのですが、数多く居る国民全員で直接国の政治を動かすことはできません。そこで、よりそれに近い方法ということで多くの場合、多数決という手法が用いられているわけです。
でも、この多数決・・・一見すると平等で最良のシステムの様に見えるのですが、良く考えるとあまり良いシステムだとは思えないのですよね。
ゾイドの世界を歩いているとわかるとおり、共和国の国民ってかなり残念な人が多いんです。いつ共和国が滅びてもおかしくないような危機的状態でも、あれこれ理由を付けて戦わない人や、「ぱお~ん、ぼくは象じゃないよ」などと意味不明な事をいって現実逃避する人、そして、共和国の危機を救わんと孤軍奮闘している私を罵倒してくる人!いや、ゾイド!
それはもうめちゃくちゃなゾイドが蔓延しているのです。しかし、いざ多数決となればこのような残念なゾイドも、必死に帝国と戦い続ける私も同じ1票でしかないのです。
それに、岡目八目なんていう言葉があるように、当事者より無関係の第三者の方が物事の真相や損得を見極めやすい物なのです。
だって当事者だと、幾ら頭では長期的に得をすると分かっていても、つい目先の損に捕らわれちゃうじゃないですか。余程強い意思が無い限り、当事者自らで正しい自分の道を選択するのは非常に困難な事なのです。
つまり、多くのハチャメチャなゾイド達が当事者として自分達の道を選択してるってことなんですよね。
もちろん、この共和国の中にはとても意識が高く、そして、客観的に物事を判断できる強い意思を持った人だって必ずいるでしょう。でも、そういう稀有な人達の意見は多数決というシステムの上では消されてしまうのです。
だって、どんなに正しい意見であっても、多数決で負けた途端に間違ったものとされちゃうんですもん。
その上、多数決って、後々その決定が間違ったものであったとわかっても、多数が選んだ結果のため、責任が分散されちゃうんですよね。
このように、どう考えても多数決というシステムで正しい選択を選べる気がしないのです。
じゃあ逆に帝国はどうか・・・もうこれは賭けですよね。
皇帝が優秀だったら、凄く良い国になるでしょうし、不優秀だったら酷い国になるでしょう。
でも・・・長く続けば続く程間違った選択をする回数が上がっていく共和国より、夢も希望もあるような気がしてしまうのも事実。皇帝さえ変われば、事態が解決することだってあるでしょうしね。
それに、国の方向性を決める皇帝は、国民とは別の第三者的存在であるため、冷静に判断できることも有利な点でしょう。
なので、隆盛を誇っている帝国を共和国が真っ向から打倒しようとした場合、たった1人で戦況を覆すことができる英雄(私ね!)を輩出するなんていう奇跡でも起こさない限り勝てるわけがないのです。(本当なら、そんな強い力を持つゾイドがあんな堕落しきった共和国に黙って仕えるわけないんですけどね!)
・・・何かとんでもない話をしてますが、あくまでもゲームの話ですよ!?
別に私は君主制の国家に住みたいと願っているわけでもなければ、反民主主義というわけでもありません。っていうかむしろ、民主主義という思想自体は非常に良い物だと思っています。でも、多数決というシステムについてはもう少し考えた方が良いかもしれませんね。
人間は群れる生き物ですから、多数に属する事が出来れば無意識に安心してしまうものです。しかし、多数決によって決められた結果の真偽については、もう少し考えた方が良いのかもしれません。
Studio POPPOのプログラム兼システム担当です。
ウォーキング・デッド大好き!ダリルかっこいいよっ!主食はキノコです。
銀河英雄伝説も腐敗した民主主義と優秀な君主制の話だったような感じでした
銀河英雄伝説もそういったお話だったのですね。
面白いよ~と勧められたことがあったので、長年気にはなっているのですが、未だ読めておらず・・・
俺はアニメ見てから小説読みました。
アニメは一度は見ても良いと思います。
アニメは見る前は『ベルサイユのバラみたいな人だな』とか思いましたが、1話の途中からハマりました
完全に失念しておりましたが、銀河英雄伝説ほどの有名作品であれば、当然アニメ化もされていますよね。
なるほど、アニメという手もありましたか・・・
良い悪いというか、純粋に「プレイヤーになんとか出来るかどうか」の差ではないかなぁと思うのです。君主国が悪役のわけ。
ヒトラー倒せば第三帝国は終わるけどルーズベルト倒しても次の大統領が出てくるだけ、的な。
共和国優勢だったら、それこそ逆転の目が無いですし…
コメントありがとうございます!
確かにプレイヤーが個の力で国を倒そうと思ったら、敵が君主国でもない限り打倒できそうにありませんもんね。(今回の話にあるゾイド 中央大陸の戦いの場合は本当に個の力で国を倒しちゃいますけど・・・)
本文でも述べましたが、私も君主国が悪役になりがちなのはあくまでもストーリーの組み立てやすさ(プレイヤー勝ち目も含みます)からなるものであると思ってます。(私がいう「君主国って本当にそんな悪い物なのかな~」というのは、物語上悪役になりがちだけど、実際にはそんなことばかりでもないんじゃないかな~と言う意味です)
でも、コメントを頂いてふと気づいたのですが、プレイヤーが王様という設定であれば、プレイヤーは国レベルであってもどうにかできちゃうわけですが、その場合の敵に敢えて共和国が選ばれた例を私は知らないのですよね。もちろん私の少なく偏った知識の中の話であって、勝手な思い込みの可能性大ですが、全くないことは無いにせよ、かなり珍しいケースなのかも・・・
君主国の特性を活かし、国力に劣るものの、一致団結した君主国が、国としては強力な力を持つが意識の揃わない共和国相手に奮戦するような話がもっとあっても良さそうなんですけどね。