戦国DQN四天王を紹介

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こんにちは。
栁澤蘭丸です。

戦国時代。
暗殺、裏切り、何でもありのこの時代
メチャクチャはっちゃけてしまった人もやはりいまして、その中でも特に大きな(ダメな方向の)逸話を残した4人を、戦国DQN四天王と言います。
DQNっていうのは、あれですね。平たく言えば、ヤカラってことですね。
四天王、いつ誰が決定して提唱したのかなどは謎ですが、現代とは価値観の全然違う戦国時代なのに、当時の人ですら「ちょっとひくわー」となるような武勇伝(?)の持ち主が選ばれております。

今日はその、戦国DQN四天王をご紹介したいと思います。
まずは、奴は四天王の中では最弱…というか、まぁ知名度の順で…

ひとりめ、
「南の島津忠恒(後に家久に改名)」さん。
島津には家久がもう一人いるのでややこしく、「ダメなほうの家久」「悪いほうの家久」などと区別されます。
島津と言えば、鬼島津。
そう。彼は鬼島津の息子なんです!それなのに何で、DQNなんて言われてしまうんでしょう?
勇猛でたくさん敵を討ち取ったぞーとか武功がすごいぞーっていうのと、DQNは別なのでご注意を。
彼の父、鬼島津「島津義弘」は敵中突破が有名な、素晴らしい猛将でござるのに、忠恒はどうしてDQN四天王の一角になってしまったんでしょうか…。
彼のエピソードを見てみましょう。

・島津家の家督を継ぐことになるとは思えない立場に生まれた(当主の甥で、しかも三男)が、5歳年上のいとこで当主(伯父)の娘「亀寿」と結婚して家督を継ぐように秀吉から指名される。が、年上が好きじゃなかったらしく超抵抗。
だが鬼島津(父)からガチギレされ、抵抗虚しく亀寿と結婚することとなる。
結婚したものの亀寿が嫌で嫌で仕方ない忠恒…当主である伯父・そして亀寿の父でもある義久が死ぬと、亀寿を追放し、生活費も渡さず…自分はハーレムを作ってやりたい放題をし、子供を30人以上ももうける。
(亀寿との子は無し。しかし亀寿に「子供が生まれました♪」というお知らせだけは送っていたらしい…)
そして亀寿の死後お墓も建てないという徹底ぶり。(今あるお墓は息子光久が建てたもの)

・家康と仲良くしたかったらしく、関ヶ原で西軍についてしまった父・義弘を本気で見捨てる。
(ちなみに父は敵陣を突っ切って退却するという前代未聞な退却方法で無事薩摩に帰還。鬼すぎて家康はまたおもらししたとかしないとか)

・上記のことについて、家康の「お前の父ちゃん西についてたけど…」といういちゃもんに、「あれは父が勝手にやったことです!」「本当に知りません!」「本当は父も東軍に付こうと思ってたのに、鳥居さんが味方って認めてくれなかったんです!」などと言い訳しまくり粘りに粘って、忍耐力に定評があるはずの家康に「もーいいよ(;´Д`)わかったよ、わかった。」と言わしめる。

・邪魔な家臣は妹の婿であろうが親戚だろうが子供であろうが老婆であろうが「ウッカリ」殺害する。

このようなところでしょうか。彼のエピソードは陰湿なものが多く、薩摩隼人のイメージとは程遠いとよく言われます。あとは亀寿さんの不遇さがかわいそうすぎるのと、子供作りすぎなのでネタ武将とされてしまいました。大名が次々と改易(←武士の身分をボッシュートされること)されていく中、島津家の領地を守り抜いた功績はあるものの、ネタのほうが多く、残念ながら四天王入りです。

ふたりめ、
「西の細川忠興」さん。
この方は、利休七哲に数えられる(と考えられる)など、文化人としての功績も多いのですが、奥さんの細川ガラシャさんのことになると振る舞いが無茶苦茶になることで知られているため四天王入りです。
このガラシャさんは明智光秀さんの娘さんで、かなり美人だったそうですな!
そのせいで…

・ガラシャを見た(見ただけ!)庭師をその場で切り捨てる。

・些細な失敗をした部下をガラシャがかばったら、「俺以外の男をかばうなんて!」と火に油。(ガラシャも分かりそうなもんだが…)
その部下の首を切ってガラシャに投げる。

・ガラシャと談笑していた侍女に嫉妬し、鼻を削いだり、遊郭に売り飛ばすなど、女性すらガラシャに近づけたくない。

・関ヶ原の戦いの準備期間中、石田三成が東軍に付いてしまいそうな武将の妻子を人質に取る作戦に出るが(まぁよくあること)、細川忠興は「妻は美しすぎる故、捕まったら何をされるか分からない!」と妄想し、「捕まったら自害しろ」と命ずる。(結果ガラシャ自害)
家のメンツのために自害しろと奥さんに命ずる武将なら他にもいたが、「僕のハニーが捕まって男に何かされたら嫌!」という理由で自害を命じたのは忠興だけである。
ちなみに三成はガラシャのことがトラウマとなり人質作戦を辞めた…。

・関ヶ原の戦い本番中、ガラシャの死がジワジワ効いてきてしまったのか、半狂乱で敵味方関係なく襲い掛かっており、西軍だけでなく東軍も恐怖に陥れる。

など、忠興さんのエピソードはほぼ奥さん絡みです。よく言われるのは「日本初のヤンデレ」。
有名なのはガラシャ絡みばかりですが、明智光秀の娘婿だったにも関わらず本能寺の変の後も何事もなく過ごせたのは義父の光秀に一切味方しなかったからで、同じDQNとして信長を尊敬していたため信長を討った光秀が許せなかったという話もあり、根っからDQNだったのかもしれません!

そして三人目
「東の森長可」さん。別名、鬼武蔵。
森蘭丸のお兄さんです。この方は狂犬と呼ぶにふさわしく、DQNの名に恥じないすごい所業が多いです。サイコパスです。
彼は主君織田信長のお気に入りであったため、信長は全然長可を咎めませんでした。
そのせいもあるんでしょうね…。というか信長さんはクレイジーぶりを喜んでたっぽいです。
愛用の槍は「人間無骨」という十文字槍で、人間なんて骨がないみたいにぶっ刺せるという意味らしいです。おそろしす。

・デビュー戦の「長嶋一向一揆鎮圧」で一向衆に単身襲い掛かり、27人を殺害。

・一軍を率いる立場になっても単身突っ込む癖は直らず、後ろから慌てて軍がついていった。
何のための軍なのさ。

・関所の番人キラーとして知られる。信長の命令で通れない関所であっても関係ない、人間無骨で門番を殺害し、おしとおる。(信長様、「鬼武蔵のすることですし」で咎めず)

・甲州征伐でも命令無視バーサクをいかんなく発揮し武功を上げ、喜んだ信長から北信濃を貰うも、その土地の民衆の一揆に遭いまくる。が、喜んで殺害してまわる。
その勢いでもっと北の越後までちょっかいをかけ、上杉領に放火するなど、やりたい放題。
また、この頃には領内の面倒くさそうな勢力からは人質をとって海津城に閉じ込めておくなど、タチの悪さがちょっと増す。

・まさかの本能寺で信長(と弟・蘭丸)が死ぬと、上杉領から撤退して北信濃に帰る。
が、日ごろの恨みがたまっている信濃人達から猛反撃を受けてしまう!…するとなんと、人質を全員殺害してから美濃に帰る。何のための人質…!

・美濃に帰るも、周りが敵だらけだったため、とにかく城を落としまくる。その勢いは1年で10つの城を落とすほどだったらしい。その後秀吉が信長の跡取りを後見しそうだなーと見るや、他の跡取り候補に従う同僚を襲いまくる。

・小牧長久手の戦いで秀吉の味方として尾張に出陣。現地の神社の生き神様の蛇さんをぶっ殺して食べる。

・歴史学者も本気で困惑する遺言書を遺す。
以下、原文を書きますぞ。

一。もし討ち死に候はば、此分に候。母に候人は、堪忍分秀吉様へ御もらい、京に御入り候へく候。
せんは今の如く御側に奉公の事。
もし私が討死にしたら、母と弟は秀吉様に奉公させてください。

一。我々の跡目くれぐれ嫌にて候。この城(兼山城)は要にて候間、確かなる者を秀吉様より置かせられ候へと
御申之事。
この城は大事なところなので、腕の確かな人に来てもらって。跡とか継ぎたくないので!

一。女共は急ぎ大垣へ御越候へく候。
女どもはみんな大垣へ行ってください。

天正十二 三月廿六日
尾藤甚右衛門知宣さま 申給へ
十万に一つ百万に一つ総負けになり候はば、皆々火をかけ候て御死に候へく候。
((まぁ負けないと思うんだけど0,0000001%の確率でもし負けたら、全員火をかけて死んで!

色々オカシイです!
途中まではいいけど、後を継ぐのが嫌のあたりからなんかおかしい。
最後には、負けたらみんな死ねとか言っておられます。
内政が死ぬほど嫌いだったみたいです。
内政するくらいなら一族郎党みんな死ね、ということ?らしいです。(本人討死にした後の事なんだから気にしなくていいと思うんだが…)

この後、鬼武蔵はこの小牧長久手の戦いで馬がぬかるみに足を取られるというミスによって、鉄砲で撃たれて死んでしまいます。
家康側の武将はもちろん、クレイジーぶりについていけなかった秀吉側の武将も密かに喜んだのは言うまでもない…。
しかしこれだけ暴れまわっておきながら享年はなんとたったの26歳…。
すごいよ鬼武蔵。

そしてトリを務めるのは
「北の伊達政宗」!
隻眼で眼帯がかっこいいためか色んなゲームに登場しますが、正直この人の行いも信長に匹敵するクレイジーさです。
料理が好きだったとか、ポエム書いたりとか、文化人っぽく振る舞ってることもありますが中身はDQNだったのです。
DQNになった理由は、「容姿が良くないから」とかいう理由で実のおかーちゃんに毒を盛られたからなど同情的な説もあるのですが、実はかーちゃんは政宗がDQNすぎて愛想を尽かせてとっくに家を出て行ってた説も最近ございまして、ということはナチュラルボーンDQNだった可能性も捨てきれなくなってしまいました。
おぉーう、仙台県の観光資源やばし。
そんな政宗公の輝かしいエピソード。結構有名かもしれません。だって有名DQNだもんね。

・伊達家の家宝の茶碗を手に取っていた時のこと。うっかり取り落としそうになって、ヒヤッとした政宗。
落っことさずに済んだのに、「お茶碗の分際でワシをヒヤッとさせるとは許せない!」という意味不明な理由で自ら叩き割る。この行為は、他人のお茶碗でやらかしたこともあり。その人、涙目。

・大坂夏の陣にて、政宗の隊の前に展開していた味方の隊が「邪魔だった」という理由から、その味方の隊越しに鉄砲射撃を行った。当然味方の隊(神保さんっていう旗本の隊なんですけど…)は巻き添え全滅。

・小手森城撫で斬り事件。
裏切り者の城だったので、とっとと制圧しないと伊達家のメンツに関わると考えた政宗、「城内にいる800人全員+α(女子供、牛やら馬やら鶏やら)を撫で斬りにしたった!」
…というのが従来の説だったのだが、実はこれは本人の弁。実際はこんなには人が入ることができない城だったことが後から判明。(200人ほどしか入れないし、その後牛などを飼っていた形跡も残っていたそうな)Twitterの犯罪自慢と同じだった。本当にDQNらしいDQNだ、政宗!
ちなみにこの時まだ18歳なので本当のDQNで合ってるかもしれないです。

・人質に取られた父もろとも、敵対武将に発砲事件。
政宗が急に各所で暴れだしたため東北地方の秩序が乱れてしまい、その尻拭いに近隣の二本松城の城主畠山さんに和睦の話をしに行った政宗のおとん、輝宗さん。和睦してもいいけど、大名としてやっていけないほどヒッドイ条件をだす政宗に、畠山さん、大ピンチ…。一応輝宗さんは「その条件はさすがに何とかしてあげなさい」と息子に言ったのですけど、難色を示す政宗…もう畠山さんはヤケクソであります。輝宗さんを人質に取り、居城の二本松城に戻ろうとしますがそこへ政宗が「待てー!!」と激おこで追っかけてきました。そして、とーちゃんが一緒にいるにもかかわらず、鉄砲射撃を食らわせます。輝宗さんが「わしのことはいいから、撃て!撃つんだ政宗!!」と言ったかどうかは定かではないですよ!!!
おとん死亡。この事件はよく政宗のかわいそうな事件として描かれますが……どう考えても…本人のせい…。

・寒い一発芸。
天下を取りたい政宗。最後まで抵抗している北条氏の小田原城が落ちてしまうと、もう秀吉の天下は決定してしまう…う~ん、加勢しろって言われてるけど加勢したくないな~、どうしよ~などと言っている間に小田原城は包囲されてしまいます。落城間近!!
落城してしまったら、小田原城攻めに味方しなかった害虫として駆除されてしまう!!!と血相を変えた政宗は、大遅刻で秀吉の元へ駆けつけます。
しかし、ただ謝ったのではぶっ殺されるか、良くても領地没収に決まっている、と考えた政宗は、死に装束を着て、十字架を背負って(キリストの真似か?)現れるという一発芸を披露
見事、「さむっ!めんどくさっ!」と秀吉から思い通りのリアクションを貰えた政宗は、御咎めなし、領地も守ったのでした…。
…ある意味立派です。なりふりかまってなさ過ぎてカッコ悪い気もするが…。

・100万石事件
関ヶ原の戦いには政宗は参加していないけど、「もう一つの関ヶ原」と言われる戦いがあります…それが、長谷堂の戦い。これは、西軍の上杉軍が東軍の最上軍を攻撃したもので、政宗は東軍。(一発芸をしないと乗り切れないだろう…など、一応空気のよめる男なので東軍が有利だと踏んでいたのです。)
最上に援軍を出すかどうか、どうしよっかな~(またかよ!)している間に、関ヶ原の戦いはたった一日で終結してしまい、上杉軍は帰ってしまいます…。
家康は、「東軍についてくれたら100万石あげるね」という手紙を政宗に送っておりました。政宗は、どうしよっかな~してただけのような感じもするんですが、帰りがけに色んなところにちょっかいをかけつつ帰ったため一応戦ってはいたので(それ必要あったのかは不明だけど)、100万石♪100万石♪と、ワクワクで家康に面会しました、が、家康からは「え、イッツジョーク!」と言われてしまいます。
実は、仙台県民、この恨みが未だに晴れず、この「100万石あげる」手紙を博物館に飾っているんです!仙台県民の方々は、岩手も福島も、うちの所領だったはずなのに…と今でも思っているとかいないとか。もう400年も経ったんだよ…!?

どうですか。
いくら戦国時代といえどもヒドイ…という話ばかり集まりました。
戦国時代に生まれなくて本当に良かったですね。
というかこんなエピソードをのこして、後世にまで語り継がれたくないですね絶対…。
武将の方は気を付けてくださいませ。

実は当たり前ともいえるんですが、三国志DQN四天王というものも存在しますので
そちらもまたいつかご紹介したいと思います!

ではみなさんSee ya!

戦国DQN四天王を紹介_挿絵1

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