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皆さんこんにちは。
最近は涼しくなってきたので、寝やすくなったかとおもいきや、何故か逆に寝付きが悪くなっている伊達あずさです。
夜寝ようと思ってベッドに入ったにも関わらず、中々眠れないと変なことをついつい考えちゃうのですよね。
今日は、そんな眠れない私がついつい考えてしまった変な話をしたいと思います。
巷では「争い事の無い平和な世界」が理想的と良く囁かれています。
でも、ふと考えちゃうのですよね。
争い事というのはそんなに悪いことなのでしょうか?
むしろ、全く争い事がないというのは物凄く不自然で、不幸を生み出す元になったりはしないのでしょうか?
きっと皆さんも経験的に「人は皆考え方が異なるものだ」と身にしみているはず。
生まれてから、全てにおいて自分と同じ考えを持った人間と出会ったことなんてありませんし、古より伝わる言葉に「人それぞれ」なんて言う言葉すらあるくらいです。
生物がもつ性質的にいっても、同じ(近い)遺伝子が交わることは良くないこととされていますよね。
遺伝にもランダム性が伴っていますし、わざわざ違うものが生まれるような仕組みが敢えて作られていると言えます。
まあ・・・要するに、人っていうのは違っていて当たり前・・・っていうか違っているべきなのです。
そして、違う人間同士が一緒に生活すれば、当然価値観の違いからなる争い事が起こって然るべきです。
ですが、多くの人は「争い事の無い平和な世界」という道徳観によって、争い事を避けようとするあまり、相手に自分の価値を否定されたことを我慢してしまいます。
しかも、その我慢ってあまり報われない物になりそうですよね。
「価値がない」と判断したものに対して人は鈍感になりがちです。
下手をすると、それに価値があると考えている人の存在にすら気づかない可能性だってあります。
よって、無邪気に延々を自分の価値を否定され続けるハメになるかもしれません。
でも、「価値がある」と考えた人が争い(文句を言うとか)を仕掛けた場合、案外あっさりと譲ってくれる可能性だってあるはずなのです。
だってその人にとっては価値がない故に敢えて否定するほどのことでもないのですから。
・・・さて、「争い事の無い平和な世界」っていうのはそういう争いじゃなく、戦争のことだよ!
って言われそうですね。
でも、戦争にも同じことが言えると思うんですよ。
戦争って一体誰が得をするのでしょうか?
戦争って呼ばれてしまうからには多くの人の不幸の上に、ごく一部の人の幸せが生み出されているってことですよね。
でも、戦争ってそんなごく一部の人達だけで行えるのでしょうか?無理ですよね?
戦争に発展するためには多くの人が関わらなければならないはずです。
そう考えるとおかしくないですか?
多くの人が自分の不幸のために戦争を始めてるってことになります。
私は戦争って身近な争い事を避けようとするせいで起こってしまうのではないかなって思うんですよ。
「周りの人間は皆やる気になっている、ここで自分が嫌がると争い事になってしまうから我慢してやろう」みたいな?
もっと皆がそれぞれの価値を爆発されていたら絶対に戦争なんて起こらないと思うんですよね。
・・・そう考えると。
日本ってそういった感覚から縁遠い国ですよね。
個人の価値より協調性を重んじる傾向があります。
いえ、傾向というよりそういう生き方を小さい頃から強要されているといってもいいかもしれません。
一見すると美徳のようにも思えますが、それって戦争へと導かれ易い性質だとも言えると思うんです。
個人の価値、時には利益すらも超越した「脅威の協調性」によって戦争の気風は一気に拡大してしまうわけです。
その驚異的な連帯感は、ある意味・・・国民全員が軍人的思考になっていると言っても過言ではないかもしれません。
なので、「争い事の無い平和な世界」を実現するためにも、日本人はもう少し争ったほうがいいんじゃないかな?
皆がもう少し自分の幸せを第一に考えて我儘に争ったなら、少なくても、ごく一部の人達のために大勢が不幸な道へと猛進してしまうようなことにはならないような気がするんですよね。
と、争い事を避けてばかりの眠れぬ私はベッドの中で延々考えていたのでした。
Studio POPPOのプログラム兼システム担当です。
ウォーキング・デッド大好き!ダリルかっこいいよっ!主食はキノコです。