「死んで花実が咲くものか」→死んだ後のことはどうでもいい件→からの反出生主義バナシ

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こんにちは!栁澤です。

日本のことわざで、「死んで花実が咲くものか」というものがあります。
これは、「死んだ者には花も咲かないし実も成らないぞ」という意味です。確かに枯れて完全に死んでしまった植物には花は咲かないし実も成らないんですが…。

この言葉を言うシチュエーションってなんだろうって考えた時、まず浮かぶのは死んでしまおうと思っている人を思いとどまらせる時ですよね。
なんていうかね、「これ生きてても花も実も咲かないわこれ。来世に期待」ってなってるから死んでしまいたいわけで…。トンチンカンな声掛けに思えちゃいます!

他にも、「いのちをだいじに」系のことわざはたくさんあり、「命あっての物種だ」とかも言いますね。命だけあってもな…という感じなんですが、命がなければまず幸せも感じることが出来ない、といいたいわけですね。そりゃそうだ。

しかし、逆もまた然り、という理屈を唱える主義があります。その名も「反出生主義」…。

えっっっっ

みたいな名前ですよね、このまま人類は滅びろって?!みたいな感じに思えるんですが、1人1人の幸福に関しては別になってきちゃいます。
反出生主義は…
生まれたくて生まれてるわけじゃない。自分の意思で生まれたわけじゃない。
なのに、生まれてきたら、多かれ少なかれ必ず「いやなこと」を体験するハメになる。人生は終始幸せなことだけってことはあり得ない。
勝手に生まれることにされ、不幸を味わい、最後には必ず「死」を体験しなければならない、「生」って本当に勝手なもんじゃな!!だから、これ以上不幸な人を増やすのはどうかと思います。
という主張をしている、と私は思っています。うん。

これに対して反論するとすれば、「でも子供を作らなかったら、不幸があったとしても、素晴らしい幸せな経験が出来るという機会を奪うことになる」という感じ?

では一方そもそも生まれたかった人の立場になると…。
(生まれなかった人って何だろうって感じだけど、概念的存在かな?厳密には生まれていなくても、もう胎児になっちゃった時点で「死ぬのが嫌」だと本能的には感じているので、胎児もこの主義で言えば生きているようなもんかと思います)
生まれていないというかこの世に存在していないのだから、「幸せを感じたい」という欲求もないから「幸せを感じる機会を奪った」というのがそもそも的外れだ、生まれた人の考えでしかないんだってことみたいですね。

これ、論破ができないと一部で有名な主義なのです「反出生主義」…。私もこういわれると…。
生まれてない時には意識もないし存在すらないので、幸せを感じたいなぁ!と思うわけもないのはまぁねって思います。あと、生まれたらどんなに幸せ一辺倒で暮らしたとしても、死ぬことからは逃れられないので多かれ少なかれ死の恐怖との戦いだけは約束されています。こんなに死ぬのが怖いのに、無理にこの世に人間を生まれさせるのがそもそも残酷なんだよ!っていう主張もまぁ確かに、死ぬってことを受け入れ、「幸せだったよ…ガクッ」てなるまでの間に、相当苦しむかもしれない。あれもしたかったのに、これもしたかったのに。人生まだやり残しばっかりなのに。とか…。

だが…人類がこれからも生き残っていくためにはこれはもう生まれてもらうしかない。他の生物だって、そうして生存競争してきたんだから、個人の幸せは種の繁栄と天秤にかけることはできない。だから産めよ増やせよっていうのを人類全体としては言うしかないっていう感じです。
死んで花実が咲くものかー!などと言ってみて、人類からドロップアウトしようとする人を止めなけりゃならない。ってことかなーって思います。まあ人類の数はずっと増え続けているし、反出生主義が幅を利かせたほうが良いかもしれないくらいの増えっぷりなんですけどね。反出生主義は生物の本能としての「子孫を残したいよー」という気持ちには勝てていないのが現状なのかな?それに自分の人生の主役は自分だし。生まれてくる奴のことはともかくとして自分が産みたきゃ産むし。

理屈ではあってるように思うけど、生物の本能とは真っ向から対立してしまうので、従いがたいのが「反出生主義」なのかな…。(・_・;)

栁澤でしたぁ><

「死んで花実が咲くものか」→死んだ後のことはどうでもいい件→からの反出生主義バナシ_挿絵1
ちなみにマクロスFの歌を歌う時、私はこんなんだけどシェリルを、伊達さんがランカパートを歌う。何故だろう!謎だ。

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