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皆さんこんにちは。
自分に合った映画をなかなか見つける事が出来ずにいる伊達あずさです。
ぽっぽブログでは、これまで色々な映画やゲームを取り上げてきましたが、そうした沢山の作品に触れるうち、ふと思ったことがあるのです。
というのも、物凄くざっくりとした区分けになっちゃうのですが、巷に溢れる物語には物凄く内容を理解しやすい物と逆に物凄く内容を理解しにくい物があるということです。
でもどうでしょう?
こうやって分けると、「物凄く内容を理解しやすい作品」って何となくチープな物の様な悪いイメージがしませんか?
だって、世の中で名作と呼ばれている作品には内容を理解しがたい物語が結構多かったりしませんか?
私も良くぽっぽブログで映画考察を書いたりしています。
個人的には理解しにくい映画の方が考察の筆が進みます。というのも、映画を普通に観ただけでは全く中身を理解できないために、自分であれこれ追加することで何とか理解しようとする一連の流れが記事にしやすいからなのです。
これだと、「難しい映画を理解できている私凄い!」と遠まわしに自慢したいだけのように聞こえてしまうかもしれませんが。残念ながら私はそこまで頭が良くありません。自分で言うのも悲しいですが・・・
私はあくまでも、自分では理解できなかった作品を自分なりに理解しようとした工程を考察として書いているに過ぎません。つまり、私の理解は作品を作った人の真の意図なのかどうか何の確証もないのです。
そもそも、映画やゲームを作っている時点で、製作者は自分の持つものを作品として表現しちゃってるわけですからね。それを後から「このシーンはこういう意図だったんです」とか丁寧に教えるなんて間抜けにも程があります。っていうか、そんな説明が必要なら最初から作品内でそれを表現するべきです。なので、自分の考えと本当に合っているのか答え合わせをするなんて、製作者とお友達にでもならない限り無理です。
それに、理解しにくい物語を作る人って大抵は世間から天才とか鬼才とか呼ばれている人達です。そんな人達が考えていることを凡人である私がそう簡単に理解できるわけがないのです。
結局の所、理解しにくい物語というのは、それを理解できる人(理解できたと思い込める人)にとってみれば他の人より高い所に登れるわけですから、優越感に浸れますし、かなり自尊心をくすぐりますよね。
そうなった場合、作品を理解できた一部の人達にとってその作品が価値あるものでなければ都合が悪くなります。
更にいえば、その道のプロというのは、その道で人より優れている必要があるのです。要するにそういう作品を理解したつもりになれる人でなければその道のプロにはなれないのですよね。
当然その道のプロ達は強い影響力を持っています・・・結果、そういう作品は名作でなくてはならない。実はそういうカラクリがあるのではないかと勘ぐってしまうのです。
そもそも、芸術における天才って何なのでしょう?
科学などの分野であれば、天才であることを確認するのは非常に容易いことです。天才が生み出した結果は凡人であっても、その工程を忠実にトレースすれば確実に再現できるからです。
そして、天才とは今まで誰もが気付かなかったその工程を見つけ出してしまう人の事です。
ですが、芸術の天才はそう簡単なものではありません。芸術は物理現象ではないため、天才が生み出したものを正しいと証明する術がないのです。
そうなると天才と呼ばれる所以って何処にあるのでしょうか・・・
私は1つだけそれを量ることができる方法があると思っています。
それは、「作品を通して一体どれだけ多くの人に何かを与える事が出来たか」です。もちろん、何かというのは各人の主観で良く、少なくても作品に対するプラスの印象と言ったところでしょうか。
「面白かった」でも、「感動した」でもなんら抽象的なことで構いません。自分の時間を消費してまで観た価値があったかどうかです。
そう考えた時、多くの人が理解しにくい作品ってどうなんでしょうか・・・見たけどさっぱり意味が分からないっていう作品にプラスの感情を抱くことなどできるのでしょうか?
私の様に無駄にしつこい人間にとっては、そういう作品も自分が深い思考に入るためのネタとして楽しめるのかもしれませんが、果たしてそれは作品の価値に繋がっていると言えるのでしょうか。
結局の所、私は何が言いたいのかと言うと・・・
本当の名作というのは物凄く内容が分かり易い物語の中にこそあるのではないかということです。
内容が分かり易いというのは、作者の意図が完全に相手に伝わるということを必ずしも示しているわけではありません。ただ、その作品に触れた人がそれぞれ何かしら自分なりの理解ができる作品ということです。
日本古来から嗜まれている短歌や俳句のように、それを聞いた人が各々その歌の内容を好きにとらえて良いというあり方もまた1つ。
一見すると内容は難しいが、多くの人がその真意を考えてみたくなるような作風もまた1つです。
少なくても、分かる人だけ分かれば良いという思いで作ったような作品が名作であろうはずがないと私は強く思うのです。
芸術というのは多くの人に何かを与えてこそ意味がある・・・確かに、一部の人が喜ぶようなものを提供し続けるのもそれはそれで需要があるかもし、それも1つの道かもしれません。でも、自分の思いを少しでも多くの人に伝える手段こそ芸術本来のあるべき形なのではないかと思うのです。まして、万人に受け入れられる作品を馬鹿にするのは自分を賢いと勘違いしている人の驕りです。
・・・まあ、こうして非常に遠まわしかつ、多くの人が理解しにくいであろう文章を書いてしまっている時点で、私も天才には程遠いわけですが、実際こうしてあれこれ書いていると、理解しやすくした上で人の興味を引くようものを作ることがいかに難しいことであるのかを身に染みて感じる次第です。
何か特にオチも無い話になってしまいましたが・・・以上です。
Studio POPPOのプログラム兼システム担当です。
ウォーキング・デッド大好き!ダリルかっこいいよっ!主食はキノコです。