戦国武将「辞世の句」特集~Part2~

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こんにちは!栁澤です。
みんな大好き戦国武将の、「辞世の句」をご紹介したいと思います、その2です(‘ω’)ノ
またしても解釈は星の数ほどあるので、そこのところ、他の人と違っていてもご容赦ください。

今回は「戦に負けたよ」というシチュエーションの辞世の句を集めてみました。
切ないです…!(´Д⊂ヽ

まずは1人目。関ヶ原の合戦で負けて捕えられた「石田三成」さんの辞世の句をば。
三成さんは武将というより官吏なんですけど、戦いに出ることも結構ありました。忍城攻めなんかが有名ですね。
別に戦が下手ってわけでもないし、コミュ障だったわけでもありません。ちょっとKYで頑固だったっぽいですけどちゃんと人の心を思い遣るところもありました。大谷吉継氏との友情も有名ですからね!同僚の加藤清正さんや、福島正則さんら体育会系の人たちとはあまり馬が合わなかったようですが…(´Д⊂ヽ
大河ドラマの「軍師官兵衛」では徹底的に官兵衛に意地悪をする役で出てましたが私は三成大好きですよ~。
基本的に義理堅い人が好きです!同僚が家康側についてしまっても豊臣家を守ろうとする姿勢、超立派です。
そんな三成さんの辞世の句は…

筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり

意味は、「故郷の筑摩江の、芦の間からチラチラ見える、漁師が灯しているかがり火がやがて消えてくみたいに、消えてしまう私の命(と豊臣家)だなぁ…はぁ…秀吉様、秀頼様、ごめんなさい」みたいな感じかと。三成の無念が伝わってきますね。天下分け目の合戦に負けて、捕まって、針のむしろの三成。豊臣家のために一生懸命戦ったのに、あああもう!みたいな。そんな気分です。(蘭丸が)

この後三成は、京都の六条河原にて処刑されてしまいます。家康の側についたのに結局改易(武士の身分没収)される運命の同僚福島正則さん、朝鮮出兵で梅毒を持ち帰って死んじゃった(とも言われている)加藤さん。豊臣家を裏切ったからなんじゃないかと思ってしまうほど、二人ともろくな目にあってません。ぷんすこ。だったら三成についておけばよかったのにね。
でも、裏切りに合って負けたというところが三成人気に繋がっているような気もしないでもないです。悲劇の武将感が増していますし。ちなみに、大将は三成ではなくて毛利さん(元就の孫の輝元さん)です。動いてくれなかったけど。ああもう、どいつもこいつも…( ;∀;)

さて2人目と3人目は、柴田勝家さんとその妻のお市の方。この句は対になっています。
柴田勝家は織田信長の重臣。お市の方は信長の妹さんです。
本能寺の変の後の、信長の後継者を決める分け目の合戦が「賤ヶ岳の戦い」ですが、前田利家がヒヨるなどしてこれに敗れてしまった柴田勝家。
居城の北庄(きたのしょう)城へと戻り、落城する1日2日前に、ホトトギスの声を聴いてふたりで詠んだと言われております。
まずは勝家が「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」と詠み、お市が「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」と詠んでいます。
意味は、勝家「夏の夜の夢みたいに儚い人生だけど、後世に私たちの名前を高く残してね、ホトトギス。」それに対してお市「そうですね、短い夏の夜が終わってしまいますね。ホトトギスが誘っているし逝かないといけませんね」という感じですかね…。
ホトトギスは、夜にけたたましい迫力ある声で鳴くことで知られていまして、いろんな異名や逸話があります。なのでいろんな人がホトトギスに関する詩を詠んでいるのですが、ここでのホトトギスは、あの世への案内役だと思われます。二人はこれから自害することを踏まえてこの句を詠んでいるからですね。
勝家は、お市と3人の娘(浅井三姉妹)を逃がそうとしますが、お市はこれを拒否。娘は逃がしますが、勝家と一緒に自害する道を選びます。お市は1人目の夫の浅井長政が信長に負けた時、長政に逃がされて生き延びましたが、もう夫を置いて逃げるのはごめんだ、という思いがあったのでしょう。または、逃げてその後自分はどうなるんだろうっていう気持ちもあったかもしれませんが。信長の妹として生まれたのに、こんな落城続きの人生…憂いたくなる気持ちも分かります。(この時逃げた娘の茶々…後の淀殿はさらにもう一回落城を経験する羽目になります…なんてこった)

勝家とお市の方が夫婦であった期間はとても短いですが、少しは幸せに過ごせたのでしょうか。越前の者としてそこ気になります!!お市の方は1人目の夫の浅井長政(イケメンだったらしい)とは仲睦まじい夫婦であったことで有名です。
勝家はイケメンという話は聞きませんが、宣教師「ルイス・フロイス」の残した勝家評では「めちゃくちゃ勇猛果敢な武将で、また、思いやりもある性格」とのことでしたので、主君の妹であるお市を大切にしたであろうと想像できますし、お市も最後に一緒に自害することを選んだわけなので勝家のことは少なからず夫として認めていたと思われます。また、3人の娘も勝家に懐いたと言われています。まー勝家、ほぼおじいちゃんでしたからね、その頃は。お市と勝家には末永く幸せに暮らしてほしかったのですが、皮肉ですがこの悲劇こそが二人の名前を有名にしたのでしょうね。それとも勝家の願い通りホトトギスの仕業でしょうか。

以上、蘭丸でした(´Д⊂ヽ

ちなみにパート1はこちらです!

戦国武将「辞世の句」特集~Part2~_挿絵1

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