本当はヒドイ「忠臣蔵」?

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栁澤です!

今日は日本人が愛してやまない「忠臣蔵」についてご紹介します。
まず皆様は忠臣蔵って何かご存知でしょうか…。
「忠臣蔵」とは、「元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)」という実際に起こった事件を物語にしたものです。
つまり「元禄赤穂事件」が三国志の「正史」だとすると「忠臣蔵」は「三国志演義」にあたります。

三国志が好きな方ならよくお分かりだと思いますが、三国志演義は「創作」です。
実際には病死した武将が華々しく戦場で散ったことになっていたり、扇子をもった変な帽子の人が東南の風を吹かせてみたり、特徴のないキャラをとりあえずジジイキャラにしてみたり、子守が得意な自分のひいき武将を関羽たち東西南北将軍と並べて「五虎将軍」にしてみたり、と羅貫中さん(作者)が結構脚色を加えています。

それと同じように、「忠臣蔵」もすごくドラマチックに改変されているんですねコレ。
「本当は怖いなんちゃら」みたいなのが流行ってたことありましたが、今回は「本当はヒドイ忠臣蔵」というわけで、忠臣蔵の裏側を語ってみたいと思います。
もちろん実際どうだったかというのには諸説あります。不思議な事件ですので。
なので、私が興味を持った部分を書いてゆきます。

まず「忠臣蔵」の意味ですが、これは「忠臣の内蔵助(くらのすけ)」という意味です。
内蔵助は、忠臣蔵の主人公。
何でこんなふんわーりした題名にしたのかというと、実は理由があって、
当時は実際に起こった武家社会での事件を歌舞伎や浄瑠璃の題材することが禁止されていました。なので怒られたら「え?コレ元禄赤穂事件じゃないよ?」と言うために、ズバリそのものな名前にはしていないんです。

まずは「忠臣蔵」のあらすじをば。
時は今から300年ほど前の江戸時代。将軍は、King of 犬派「綱吉」様です。
今の兵庫県あたりに、「赤穂(あこう)藩」という藩がありました。
この頃は大名は参勤交代とかいって、江戸と自分の領地を行き来しては将軍様から役目を与えられて頑張るという時代でした。
この赤穂藩の藩主の「浅野さん」は、事件当時、江戸に参勤してました。京都からの勅使の接待役という大任を与えられていて、接待でのマナーの先生である「吉良さん」に仕事を教えてもらう日々を送っていました。

でも吉良さんは意地悪で、浅野さんにちゃんと礼儀など教えてくれず、浅野さんは恨みに思っていました…そしてなんと饗応の儀式の最中に、江戸城の「松の廊下」という場所で、吉良さんに「この前はよくも意地悪してくれたなぁぁぁ!!(意訳)」と叫んで刀で斬り付けてしまったんです!
吉良さんは「え、ちょ!え!?」とビックリしましたが手向かうことはせず(当時吉良さん、結構なおじいちゃんですし…)、結局、二太刀も浴びせられてしまいます。
でも生きてました。HP多い。
ちなみにこの時、有名ゼリフ「殿中でござる!」が、脇役のお方(一応…梶川頼照という人です)から発せられます。
意味は「ちょ、ここは刀を抜くの禁止の江戸城なのに何してんの!?(意訳)」です。

大切な行事の最中に傷害事件を起こした浅野さんに怒った綱吉公は、即日切腹を命じます。
これは異例のことです。綱吉公にとっては、これ、相当大切な行事だったのです。
浅野さんは「幕府のことは別に恨んでないけど、吉良を仕留め損なってガッカリ(意訳)」と供述したそうです。

これにびっくりしたのが、赤穂藩のみなさんです…。
浅野家はもちろんお取り潰し(武士の身分ボッシュート)です。
なんとか浅野家の再興をお願いしますが、許してもらえませんでした。
吉良さんは手向かわなかったということで、御咎めなしになったのに。
これには赤穂藩、納得いきません。この頃は「喧嘩両成敗」といって、喧嘩をしたら両方等しく罰するという決まりがあったせいです。何で吉良は生きてて、うちの殿は死なないといけないんだ!と、怒り爆発。
主人公の大石内蔵助をリーダーに、綿密な討ち入り計画を立て、見事に吉良を討ち果たし、主君の仇をとります。
なんという忠臣たちでしょう!
だけど、この討ち入り、犯罪は犯罪です…。討ち入りメンツはみんな切腹を命じられました。打ち首じゃないので、一応義はあったということになります。なんていう悲劇…。
赤穂浪士達、立派だったよ!

↑これが、忠臣蔵の大体の流れです。

だけど、吉良さん、地元三河国幡豆郡ではとても評判のいい殿様でした。
今でも名君として祀られています。
そんな人が幼稚な意地悪するんでしょうか?

ここで怪しくなってくるのが浅野さんの方です。
浅野さん…実は当時、平成の関羽こと(?)エメラルドフィンガー伊達さんものたうち回った「尿路結石」を患っていたと思われる記録があります。
そして、ものすごい癇癪持ちだったという記録もあります。
浅野さんの家系の人は代々癇癪持ちな人がしばしばいる血筋だったようですね。
そしてそして、何より、その松の廊下に居合わせた人は誰も「この前はよくも(以下略)」という声を聞いておらず、目撃者は「浅野さんが奇声を発して吉良さんに襲い掛かった」と語っているのが公の記録なんです。(吉良さんはその時、廊下で別の人と談笑中だった)

これ…いわゆる「(尿路結石が痛くて)むしゃくしゃしてやった。誰でも良かった。今は反省している」というやつだね…。
ただ反省…は、していたというわけではないようで、事情聴取をした記録によると意味不明な供述しかしなかったそうです…(TωT)
大体、おじいちゃん相手に2撃も加えといて仕留め損なうって、相当錯乱していたとしか思えません。
また、吉良さんが意地悪をしたという証拠や証言は特にありません。
事情聴取で吉良さんは「斬られるような恨みをかった覚えはないです…、意味分かりません…(´Д⊂ヽワシ、こんなじじいなのに…」と言っています。
(まあ、本当に意地悪していたとしてもそんなこと言わないとは思いますがw)
あるのは、浅野さんおかしかったよっていう記録のみ。
なので、お話になりません!ということで、大事な儀式の最中だったし即日切腹が強行されたと思われます。

赤穂藩のみなさんも、最初っから「殿の仇許さない!」と思っていたわけじゃありません。
お家再興を許してもらえていたら、そのまま静かにしていたはずです。
お家再興の希望が無くなったため失業してしまった元赤穂藩の浪人たちの「こうなりゃヤケだ」感が否めないんですよねぇ…。
大体、赤穂藩の浪士たちが怒って、大義名分にしていた「喧嘩両成敗」ですが…突如斬りかかった人と無抵抗の人は「喧嘩をした」と言えるのでしょうか(;・∀・)
何でもいいから理由をこじつけたかったように思えてしまいます(;´Д`)
私的には吉良さんが気の毒でなりません…何も悪くないかもしれないのに、曹操並の悪党として日本中に名を馳せてしまったんですから。

でも、こんな大事件滅多にありませんから、江戸の巷は大騒ぎです。
スカッとする美談として、いい題材になったというわけなのです。

吉良さんには、浅野さん以外に意地悪をしたことがあるという逸話がちらほらとあったりします。
ですが、これは忠臣蔵のスパイスのため、延々と語り継がれているとも考えられます。
誰だって、褒められないようなことをしてしまうことが絶対ありますが吉良さんの場合これが風化したら困るわけです。悪党でなければいけないんですから。

一方、浅野さんの援護をすると、公の記録に「浅野さんが錯乱状態で全然話にならなかった」としか書いてないのは、浅野さんが全面的に悪くて幕府悪くない!としたかった幕府の仕業と言うことも考えられます。
即日切腹なんて後から責められても仕方ない。冤罪だったらどうする!(まぁ今回はそれはあり得ないとは思いますが…)
だから、浅野さんが、飛びぬけてクレイジーでしたと書いておくしかなかったとも考えられます…。
都合のいいように書けばいいのが、天下人。
中国なんて、王朝が変わるたびに前の王朝の歴史に関する記述は焼いたり、改変したりしてますからね。
日本でも絶対有り得ないということはないと思われます。

本当は何があったかは、タイムマシンが発明されるまでは謎です。
単なる美談で片付かないのがこの「元禄赤穂事件」なのです!

今回は私は綱吉公の肩を持つ感じで書いてますが、赤穂浪士たち寄りに書くこともいくらでもできちゃう、そのくらい色んな逸話、解釈があるのです。日本人は本当に忠臣蔵が好きなんですよね( ´∀`)

ちなみに大石内蔵助さんのニックネームは「昼行燈(ひるあんどん)」です。
要するに昼に行燈をつけてても意味がないので、「役に立たねー」っつう意味ですw
リーダーなのにヒドい言われよう…orz「もー早く突撃しちゃいたい!!」派の人を落ち着けてみんなを一つにまとめたりと、討ち入りに直接関係あることじゃないところでちゃんと気を配って頑張っていたのが内蔵助だったので昼行燈ではない…と思います!

本当はヒドイ「忠臣蔵」?_挿絵1

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