なぜ源義経は冷遇された?常識破りな弟・義経と、武士の未来を考えた兄・頼朝

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こんにちは!栁澤蘭丸です。
源義経と言えば「判官びいき(不遇な人に同情する)」という言葉の元になった、日本人が愛してやまない武将ですよね。
兄のために活躍したのに何故か冷遇され、悲劇的な最期を遂げているところから、モンゴルに渡ってチンギス・ハンになったんじゃないか説まであるほど、とにかく愛されている義経さん。

義経や兄の頼朝たちが戦いに身を投じることになったのは、いわゆる「源平合戦」とか「治承・寿永の乱」と言われる争いのためでした。ご存知の通り、平氏が武士の身で貴族のように権力を持ち、隆盛を極めに極めまくった結果、天皇家の力まで奪ってしまい、面白くなくなった天皇家とその他武士(源氏)が立ち上がって平氏を滅ぼしちゃうぞー!というのが、大筋。
この時に、源氏側のエースとして活躍したのが、義経です。義経の戦上手のおかげで平氏に勝てたと言っても過言ではないほどの戦果を挙げているというのに、何故か兄は義経を認めてあげません。それどころか、「やったよ兄上!」と鎌倉に凱旋してきた弟を鎌倉に入れてあげないお兄ちゃん。

どうしてそんなに冷たくするの!?(´・ω・`)

と、普通の感覚だと思っちゃいますよね。兄上のために頑張ったのに一体何をしたっていうんですかー!という感じです。
それが、実は、義経は色々とやらかした…かもしれない…と蘭丸は思っています(´Д`)判官びいきはよく分かるんですが、ここはひとつお兄ちゃんの立場として弟を見てみましょう!決して私が兄弟の一番上として君臨していたからではありませんが!ちなみに兄「頼朝」は三男、「義経」は「九郎義経」というくらいなので九男(末弟)です。異母兄弟とはいえ、多いなぁ。(年齢は、二人とも生まれた時を0歳としてあります)

謎だらけの青少年期

とりあえず、コトは源氏は平氏からケチョンケチョンにのされるところから始まります。頼朝・義経兄弟のお父さん、源義朝さんが「平治の乱」で殺されてしまい、頼朝(12歳)は伊豆に流されます。
一方その頃の弟・義経はというと、この時は生まれたばっかりの赤ちゃん(0歳)です。お父さんの敗死により、実の母と奈良へ逃げのびます。この頃の名前は「牛若丸」。有名ですよね。
というわけで、お兄ちゃんと弟は、弟が生まれたばっかりの段階で既に離れ離れ。兄弟の思い出も何もないっていう状態でした。
後に「牛若丸」は、お母さんが再婚するので、京都の鞍馬寺に預けられました。僧侶になる予定でしたが「僧侶になるなんてイヤ!!」と出奔(14歳)。逃げ出した先は奥州(岩手県の平泉)藤原氏の元でした。
で、兄弟がやっと顔を合わせることになるのは、お兄ちゃん(33歳)が伊豆で挙兵した後です。この陣営に加わって兄を助けたいと弟(21歳)が駆けつけて、再会です。
この時のお兄ちゃんの心境は多分
えっ。この子誰やったっけ?あ、うちの末っ子?本当に???
的なものだったかと…。だって鞍馬寺に預けられてたはずなのに何か奥州から来るし、一緒にいられたのは義経0歳の時だけなので、例え顔を見たことがあったとしても面影とかそれ以前の問題だったはずです…。
「ま、まぁいいけど…。一緒に頑張ろうね」くらいの感じだったでしょう多分。打倒!平氏!末っ子らしき子が合流したけど、まぁ戦力になってくれるみたいだし、何でもいっか!

戦わせてみたらその兵法にドン引き

義経と言えば敵を裏をかく「奇襲(ひよどり越えの逆落とし)」や、当時の合戦では禁じ手とされていた「海戦で船の船頭を殺す」などを行ったことが有名なのですがコレ、当時としては「卑怯」と思われることだったそうです。
まぁ『戦争は死ぬか生きるかであり、スポーツじゃないんだからルール無用だ!』という意見もあり、それもごもっともなんですが、現在だって大量破壊兵器は拡散防止されていますので、どんな時代でも一定のルールはあったと思われます。何故ならば…いつの時代も理由は共通。自分たちも、それはやられたくないから!例えば船の船頭を大量に射殺し射殺し返されていては、大将首を獲って勝ったとしても、自軍が陸に戻れませんし。大将首を持ったまま漂流して軍が壊滅した場合、それすなわち引き分け。
船頭を射殺された側は「何なのこの卑怯な人!!」って思いながらも「こっちもやり返せー!」とは常識が邪魔して実行できず、負けたのではないかと。
義経に兵法を教えたのは、有名な鞍馬山の「天狗」だから義経は奇抜な兵法の戦の天才と言われていますが、よくよく見てみると当時みんな「これをやりゃー勝てそうなんだけどな…でもな~…さすがに…ねえ」ということを、やっちゃった人、って感じだった可能性があるのです。
まぁでも天才というのは実際そういうものなのかもしれません!クローン技術の研究も、多くの先進国では「倫理が!倫理が!」と、なかなか進められないので、人命が軽視されている国で研究が進んじゃうのをひそかに待ってたり待ってなかったりという噂もありますし…。
というわけで、ガンガン勝利を持ってくるんだけども、勝ち方がひどいので味方にもドン引きされていたらしい義経。大正義を掲げて挙兵したお兄ちゃんは、正々堂々と勝ちたかったはずなんですが、この戦の天才に「こいつやべぇ…常識なさすぎてやべぇ…」と思い始めたのかも…。
と、ここで義経をフォローしますと、義経は寺に預けられて兵法を勉強していたので、武家社会での合戦の「暗黙のルール」みたいなものを学ぶ機会がなかったんですよね(´・ω・`)なので義経は「卑怯者」ではなくて、「武家社会の外にいた者」というだけなのです。

ちなみにですが合戦に明確な「勝敗」が着くようになったのは、戦国時代に鉄砲が実用化された後のことと言われています。それまでの戦いというのは、飛び道具の応酬をして、死傷者が出る前にどちらかが逃げる→適度に追う…というものが主流で、時代劇のような騎馬隊のド派手な突撃などはほとんど無かったと言われています。死屍累々みたいな場面にも、同じくそうそうなりませんでした。
なので、義経の「ガチ」さ加減は、相手から見ると恐怖だったかもしれませんね(◎_◎;)

天然属性を炸裂させて空気を読まない

義経の大活躍により平氏は滅亡し、義経は京都に凱旋し、朝廷から大感謝をされます。でも、お兄ちゃんはこの平氏との戦いの後のことについて、こう考えていました(多分)。

朝廷とは距離を置いて、武家の社会作りたいなー

しかし、褒められたら素直に喜ぶ義経はお兄ちゃんの思惑なんてよく分かっていません。朝廷がくれるっていう官位(これが判官)を貰って、「兄上ー!僕は頑張りました~!」と、捕虜を連れて兄のいる関東へ移動します。これに兄上がおこ。

お前さぁ…、俺が朝廷と距離置きたいって分かんないかなぁ、何その官位?勝手に朝廷の家臣になっちゃって。だいたいお前、本当に俺の弟なの?ねえ!?戦い方も常識なさすぎるし!狂犬が鎌倉に入んじゃねー!あ、捕虜は入れてよし

という勢いでおこです。
褒められこそすれど、怒られるとは思っていなかったであろう義経はショックを受け、「空気読まなくてごめんなさい、でも悪気はなかったんですごめんなさい…頑張ったのに免じて鎌倉に入れてください…(T-T)」とお手紙を兄上に出します(腰越状)。
しかしそのお手紙は、頼朝に読んでもらえたけど許してもらえなかったとか、途中で狂犬義経はヤバいって思った家臣によって闇に葬られた、など諸説あり、結局、義経のゴメンナサイが頼朝に聞き入れられることにはなりませんでした。

こうして、義経は冷遇され始める

ここから義経の本格的受難が始まります。めちゃくちゃ武功を上げた義経が官位を勝手に貰って朝廷の家臣になっちゃったことは、頼朝にとってはとてもマズイことです。「あー、そうなんだ、戦の功労者はやっぱ朝廷の下につくんだね…」と思ったら、他の武士も、頼朝の下につくべきか、朝廷の下につくべきか、どっちにしたらいいんだ?と、惑うことになります。官位が貰えるなら朝廷のほうがいいじゃん、と思ってしまう人も出てくるかもしれませんし。武家が自立した社会を作りたかった頼朝は、勝手をした義経を厳しく処罰しないとならない状況になってしまいました。
身分が大切だった当時、義経は母の身分が低かったので弟と言っても家臣とそう変わらない感じでしたし。しかも、弟可愛い!って思えるような思い出もない上、天狗から習ったかなんか知らんけど白い目で見られるような勝ち方するし、自分がこれからの武士の社会のことを考えてるのに全然空気読まない天然だし!!!!(個人の感想です)加えて、いきなり奥州からやってきた彼を、弟本人か確かめる術もない…。兄弟の情の湧きようがないかもしれないです(´・ω・`)これからの朝廷との付き合い方など、考えごとが多かったであろう頼朝は、ナイーブな時期ゆえ沸点も低めだったと思われます。

というわけで義経はお兄ちゃんに褒めてもらえるどころか許してももらえず、揚げ句の果てに討伐されることになったので奥州へと逃げのびます。激おこも激おこの兄ちゃんは、京都のみなさんにも「義経を庇ったら分かってんだろうな!」と睨みを利かして義経をロックオン。
結局、義経の頼みの綱だった奥州藤原氏も義経を庇いきれずに、悲しいかな藤原氏によって首をとられてしまうことに…。享年30歳の若さでした。
苦渋の決断で義経を討った藤原氏も、激おこ頼朝によって滅ぼされてしまいます(奥州合戦)。まぁ義経が藤原氏の手の者だと疑われていたとしたら当然のことかもしれないのですが、そうじゃなかったとしたら兄上やりすぎかも。(兄上はその後、藤原氏と義経の鎮魂のために鎌倉にお寺を建てています。)
しかしこれにより、武家は頼朝の元で思いが統一され、頼朝は征夷大将軍に任命され、貴族からの自立へと進んでいけることになりました。

というわけで、義経は兄を慕っていたけど、頼朝の方は弟をなんか、「んん!?」って感じに見ていたと想像できるのです。
兄が武家の未来について真剣に考えている時に「くれるっていうから貰っちゃった」と官位を貰ってしまったところが、責任を負わなくてよい気楽な末っ子という感じですが、真面目な兄は「それじゃ武士がまた公家の家来になって何も変わらないだろうが!戦果を挙げてて影響力が高いお前が、よりによって何してんじゃ!」と怒ったんですね。この時の頼朝はもう本当に激おこと呼ぶにふさわしい怒りようだったと、記録に残っています…((((;゚Д゚))))「平家より、むしろあいつの軽率さのほうがタチ悪いんだけど!!(意訳)」とのことです。
平家も結局は武家としてではなく、貴族の真似事をして権力を手にしていたわけで、武家が武家として自立するっていうことを真剣に考えていたのが頼朝の凄いところだと思います。戦いは、終わった後のほうが大切なんですもんね実際。
それに関しては、弟は、戦のことだけ考えていればよい気楽さゆえに兄の目線にまで考えが及ばず、怒りをかってしまったのですね。立場が違うのだから仕方ないけども残念な結果になってしまったと思います。

戦国時代も面白いけど源平もロマンありますよね!
当時の兄弟の在り方は現代と違ってて、弟だから可愛がるとかそういう感情が湧くものだったかどうかは分かりませんが(後世の創作っぽい腰越状では、兄弟の情に訴えている部分があるけれども…)、急に現れた常識に収まらない弟に、兄は何を思うか?という点から考えてみました。

いつものことながら諸説ありですm(_ _;)m

ではでは!

なぜ源義経は冷遇された?常識破りな弟・義経と、武士の未来を考えた兄・頼朝_挿絵1
※義経は勝てば官軍などとは思っていなかったハズ…なのでこれは蘭経です

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栁澤 蘭丸
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