他人の不幸に身震いしてしまう私「I am 破天荒」?

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皆さんこんにちは。
難儀で迷惑な性格の持ち主、伊達あずさです。

以前、蘭丸さんが「他人の不幸は蜜の味か?:応用心理学」という記事を書いていたことがあるんですが、今日はそんなお話です。

私は昔から人が不幸な状態になるストーリーがとても苦手です。
漫画でもアニメでもドラマでも、やっぱり一旦落ちてから這い上がる系のお話って多くないですか?
特に差を付けるためか、物凄い凄惨な虐めにあったりしますよね。
もうそういうシーンになってしまうと、そわそわ度が尋常じゃなくなってしまい、高確率でチャンネルを変えてしまいます。
(しばらくして、終わったかな~っていう頃にチャンネルを戻したりもしますけど)
自分でもよく理解できないんですが、そういうシーンって本当にだめなんですよね。

では、現実世界でそういうことがあった場合はどうかというと・・・
何とかしようとしちゃうんですよね・・・これが・・・
現実世界の場合は、お話の世界とは違って、私が介入することができちゃうわけです。
そうなると、もう何が何でもそういう「理不尽(無秩序)な環境」(あくまでも私の個人的感想)を残し続けることが嫌でたまらなくなるのです。
なので、当事者の意志とは関係なく、何が何でも「あるべき姿(秩序だった環境)」(もちろん私の個人的感想)に戻るまで自分のストレスすら顧みず猛進してしまう傾向があるのです。

まあ・・・物凄く周りからすると迷惑な人ですよね・・・
もしかすると、私が理不尽と思っている状態自体には共感してもらえるかもしれません。
ですが、例えどんなに理不尽な環境であったとしても、エントロピーが増大した結果生み出された環境なわけです。
まあ要するに生まれるべくして生まれた環境、あるいは放っておいたらそういう環境が生み出されるのは極自然なこととでも言いましょうか。

そんな、自然の流れに抗うというのは、聞こえはいいけど、実際にそれに関わせられた人からすると、凄まじいまでの労力を負わされることになります。
何しろエントロピーの増大に逆らうわけですから、それこそ時間を巻き戻すほどのエネルギーが必要になります。
巻き込まれた人は「なんで私がこんなことしないといけないの!?」ってなっちゃいますよねそりゃ。

でもなんか、どうしてもその理不尽な状況を自分の周りに残していることが凄まじいストレスになってしまうんですよね。
私は基本的に物凄い小心者です。本当は人とお話することすら怖いくらいです。
ですが、理不尽な環境を改善する使命感にかられた時のみ、異常なまでの行動力を発揮することがあるんですよね。
もちろん、自分の精神を削りながらなんですけど・・・
実際に本当に改善?(私にとっては)されちゃったこともあるので、「I am 破天荒」と言ってもいいかもしれませんが、あまり自分を称する言葉ではないですね・・・

しかし、こうして仮に改善されたとしても、私自身は精神的にぼろぼろな状態となった上、私個人がその環境による恩恵を得られずに終わったりするケースがほとんどなんですよね(後の人に感謝されたりする程度の恩恵はあるけど・・・)
争い事が苦手で、臆病な私が極度のストレスと闘いながら、誰のために何のためにこんなことをするのか、未だに理解できていません。

結局・・・私が心穏やかに過ごすためには俗世間から離れて暮らすしか無いという、何だか後ろ向きな結論しか浮かびません!
もし、誰か私と同じような性格で、幸せに過ごせている人が居たら是非アドバイスをください!

・・・結局何の話なんでしょうねこの記事。
まあほら、所詮は雑談ですから!!

他人の不幸に身震いしてしまう私「I am 破天荒」?_挿絵1

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