武田信玄公のお話~トイレへのこだわり~

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どうもコンニチハ!山梨のまわしもの、栁澤です。

武田信玄…とくれば、みんな知ってる風林火山!赤基調の甲斐の虎ですよね。配下にも、山本勘助やら真田幸隆・昌幸親子やら、くノ一の望月千代女やら有名な人が多いです。(諸説ありw)戦国最強の騎馬隊を持ってて、孫子兵法を敬愛してて、戦をして負けたのは若かりし頃のたった1人だとか(信州上田在住・村上義清さん・信玄被害者の会会長)
前も書きましたが、山梨(甲斐)っていうのは山が多いので人が住める部分がとても狭かったんですね。なので、外に攻めていかないとならなかったため、被害者もその分多かったんですよねー。勝った人がいるなら必ず負けた人もいるのですからね!

そんな、当時でも最強と言われ、いかつい武士武将たちの憧れの的だった信玄公は……ちょっとお茶目な一面も持ってます!

トイレマニアだったのです。

信玄公の有名な言葉には「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」がありますが、密かに(?)こんなことも言ってます。トイレのことを「」と呼び、理由は「草木(臭き)が絶えないから」と…。うまい!!

…じゃないよ!(◎_◎;)ガーン

現代でも、トイレ大好きな人いますよね。トイレに、読書スペースを作ってしまったり、果ては途中で水分補給が出来るようにと冷蔵庫を置く人までいるそうで(あれ…、それって便所飯…)
信玄公もこの部類の人だったみたいです。

戦国時代当時は、トイレとは汚いもので、高下駄を履いて入ってたらしいです。つまり…汚物が落ちてたんでしょうね( ;∀;)欧州でハイヒールが発達したのと同じです( ;∀;)

しかし信玄公のトイレは、全然違うのです!!
なんと、畳敷きの六畳間で、お香を24時間焚いており(トイレの芳香剤?)、しかも水洗だったのです。ただし全部人力ですが…。お香は見張りの人がいたし、水洗も合図があったら水を流す係の人がいたそうな。

こんなのウォシュレットだったらもう完璧じゃないですか!
和式だとしたら姿勢がつらい気がしますが、信玄公はこの快適空間の中で仕事をしたり、軍略を考えたりしていたそうですよ。

しかし何でこんなにトイレを快適にすることに情熱を…?と思いますよね…。
古来より暗殺には無防備になる場所がよく選ばれていました。お風呂で暗殺された将軍(源頼家・鎌倉2代将軍)もいたし、トイレで暗殺された人(墨江仲皇子・古墳時代)もいました。お風呂は武器を持って入らないし、トイレはしゃがんでいたりするし…着物を正そうと思うと色々と手間取るでしょうし、入っていく=油断していると言えたんでしょうけど、信玄公の快適トイレは無防備になっている時間帯が分かりづらい!!
それに24時間体制でお香を焚いている人がいるなら、人目もありますし。警備体制バッチリだったっていうのもあるかもしれませんね。
信玄公は、父親が現役だったのに家臣に担ぎ上げられて家督を奪っています。その後の信玄公の振る舞いは、それを教訓になのか、家臣をとても大切に扱うようになっていましたが、それでもやっぱり、目の当たりにしているだけに不意打ちや裏切りなどは怖かったのかもしれません。

ただ単にトイレ落ち着く…っていう人も多いのは事実ですけどね(笑)
畳敷きのトイレ……一度でいいから見てみたいと思い、信玄公の居城だった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の跡に行ってみましたが、そこは武田神社になっていてめっちゃ美しい鶏が放し飼いになっていてそれはそれで素敵な神社だったのですが、信玄公のトイレの復元などはありませんでした(ノД`)・゜・。
ああ…御館様のトイレ興味あったなぁ…。

栁澤でした!

武田信玄公のお話~トイレへのこだわり~_挿絵1

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